2008-01-01から1年間の記事一覧

マザー・テレサの言葉(16) 生まれる

世界中にある「神の愛の宣教者会」のすべての聖堂に、 空の飼い葉桶が置かれました。 今は、喜びと希望に満ちて待ち望む時期である待降節です。 イエスが来られようとしています。 この待降節に、イエスがわたしたち一人ひとりを愛しているように、 互いに愛…

入門講座(21) 結婚・叙階の秘跡

《今日の福音》ルカ21:5-11 終末についての朗読でした。終末思想というのは、キリスト教の伝統に深く根を下ろした考え方で、終末論という名前で神学の一つの科目にさえなっています。詳しくは次回まとめてお話ししたいと思いますが、簡単に言えば人間がこの…

フォト・エッセイ(63) 六甲教会の紅葉③

教会に近づくと、黄金色に染まった銀杏の木が青空を背景にして輝いているのが見えた。教会の庭の隅に植えられた大きな銀杏の木だ。毎年、たくさんの銀杏を落として教会の人々を喜ばせると聞いている。とてもきれいなのだが、残念なことに電線が近くに何本も…

フォト・エッセイ(62) 六甲教会の紅葉②

今日も雲ひとつない快晴だったので、お昼ごはんを食べたあと教会の周りを1時間ほど散歩した。いつもお昼御飯と晩御飯は、教会の近くにあるイエズス会の修道院で食べている。教会から修道院までは、歩いて3分くらいの距離だ。 修道院を出てから、まず修道院の…

フォト・エッセイ(61) 六甲教会の紅葉①

今朝、教会の庭に植えられた木々の紅葉を写真に収めた。普段は、たくさんの仕事がある日曜日にわざわざカメラを持ち出して教会の写真を撮ったりしない。だが今日は特別に天気がよく、庭の木々の美しさがわたしに「撮ってくれ」と訴えかけているようでもあっ…

バイブル・エッセイ(32) 永遠の命

このエッセイは、「死者の月」の追悼ミサでの説教に基づいています。 「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたし…

フォト・エッセイ(60) 清水寺から永観堂へ②

神様の恵みは、ときに応じて形を変えながらわたしたちの心に降り注ぐ。先週は、青空を背景にした鮮やかな紅葉の色彩を通して、神様はあふれんばかりに豊かな恵みを注いでくださった。あの美しさに心を動かされなかった人はほとんどいないだろう。神様は先週…

フォト・エッセイ(59) 清水寺から永観堂へ①

今日は、清水寺から永観堂まで歩いた。今週あたりが紅葉の見ごろかなと思って行ったのだが、残念ながらもうほとんどのモミジが枯れかけていた。普通に見る分にはまだ楽しめると思うのだが、写真を撮るにはかなりつらい。ほとんどの葉が、もう端の方から枯れ…

バイブル・エッセイ(32) イエス様の兄弟

このエッセイは、11月23日、「王であるキリスト」の祭日に行われた子どものためのミサでの説教に基づいています。 人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊…

マザー・テレサの言葉(15) 観想者

わたしたちは毎日、御聖体の大切な恵みをいただいているのですから、 その恵みの中でのキリストとの交わりが、 まずわたしたちの祈りです。 キリストの愛、キリストのそばにいる喜び、 キリストの愛への自己放棄、 それらこそがわたしたちの祈りなのです。 …

入門講座(20) ゆるしの秘跡・病者の塗油

《今日の福音》ルカ19:1-10 ザアカイが、イエスと出会って回心する場面が読まれました。この箇所で、今日は2つのことに注目したいと思います。 一つは、ザアカイが金持だったことです。イエスの誕生を告げる天使が貧しい羊飼いたちのもとに遣わされたこと、…

バイブル・エッセイ(31) 復活したらどうなるのか

このエッセイは、11月22日に行われた教会学校の子どもたちのためのミサでの説教に基づいています。 イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐことも…

フォト・エッセイ(58) 東福寺・嵐山の紅葉③

渡月橋で六甲教会の若者たちと合流し、保津川の土手でお弁当を食べた。川面を渡ってくる風は冷たかったが、嵐山でおそらく一番いい景色を見ながらの昼食はとてもおいしかった。見ていると、嵐峡の川下りを楽しむ人たちの舟が次々と川を下ってきた。お弁当の…

フォト・エッセイ(57) 東福寺・嵐山の紅葉②

待ち合わせの時間よりも少し早く嵐山についたので、とりあえず駅の近くにあるお寺を見ておくことにした。目指したのは天竜寺だ。駅にも、待ち合わせ場所の渡月橋にも近いから、時間までちょっとのぞいておこうというくらいのつもりで行ったのだが、行ってび…

フォト・エッセイ(56) 東福寺・嵐山の紅葉①

京都に行ってきた。朝いつものように青谷の修道院で朝のミサを立てた後、大急ぎで電車に飛び乗ってまず東福寺へと向かった。東福寺駅を降りると、もうたくさんの人たちが東福寺に向かって歩いていた。ただ、開門時間の直後だったので、お寺の中はまだそれほ…

やぎぃの日記(12) 夜まわり

水曜日の晩、大阪大司教区の社会活動センターがやっている夜まわりに参加してきた。12月下旬並みの寒さになると天気予報が言っていたが、まさにその通りで、肌を刺すような冷たい風がビルの間を吹きすさぶ夜だった。夜まわりに参加したのは、1年半ぶりのこと…

やぎぃの日記(11) 「ガーナ・アフリカ・わたしたち」②

質疑応答のときに、壮年の男性たちから「援助」という言葉づかいについて疑問が寄せられた。わたしたちはアフリカや途上国に対して「援助」という言葉を当然のように使っているが、その言葉の背景には貧しい国を下に見るような意識があるのではないかという…

やぎぃの日記(10) 「ガーナ・アフリカ・わたしたち」①

《お知らせ》来月は、クリスマス行事の関係で「ともに考える会」をお休みします。その代わり、①12月19日の「神戸市民クリスマス」の後、プロテスタントの若者たちとの交流会がありますし、②12月21日には青年会のクリスマス会がありますので、六甲教会の若者…

マザー・テレサの言葉(14) 謙遜さ

神のたいへんな謙遜さを見てください。 全能の神が、幼子として来られたのです。 そして今日、神はいのちのパンの内に、 家族の中の貧しい人の内に、そしてあなたの隣人の内に来ておられます。 今日の世界にあって神は、謙遜さによってわたしたちを、 神の存…

入門講座(19) エウカリスチアの秘跡③

《今日の福音》ルカ17:7-10 主人に対して僕は奉仕を要求することができない、とイエスはおっしゃっています。僕は、すべての使命を果たした後で、ただ「わたしは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」と言えばいいというのです。こ…

バイブル・エッセイ(30) 神様へのプレゼント

天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。…さて、かなり日がたってから…

《第50回神戸市民クリスマスのお知らせ》

12月19日(金)の晩、第50回を迎える神戸市民クリスマスが三宮のカトリック神戸中央教会で行われます。神戸市民クリスマスは、神戸市内にあるプロテスタント諸教団とカトリック教会が合同で行うクリスマス行事です。午後7時30分から行われるクリスマス礼拝では…

フォト・エッセイ(55) 森林植物園へ②

高山植物園を出る頃までは晴れていたのだが、歩いているうちにだんだん雲が多くなってきた。写真を撮っていて一番困るのは、空の大部分が青空なのに太陽だけが雲に隠れていているという天気だ。そういう天気だと、空は明るく光っているのに、地上に光があま…

フォト・エッセイ(54) 森林植物園へ①

昨日は、教会の若者数人と一緒に高山植物園から森林植物園までの道を歩いた。途中、赤や黄色に色づいた木々が水面に影を映す穂高湖の湖畔でお弁当を食べ、3時間くらいかけてゆっくりと歩いた。高山植物園はもちろん、森林植物園も長谷池の周りのモミジを中心…

フォト・エッセイ(53) 布引散歩

朝、青谷の修道会でミサを立てた後、次の仕事まで時間があったので布引まで足を延ばした。8時過ぎに修道院を出てきたときにあまりにも空が青く、空気が澄んでいたので、いてもたってもいられなくなったのだ。近くのバス停から、教会とは反対の方向に向かうバ…

フォト・エッセイ(52) 加西の石仏群

今週の月曜日、信者さんたちのグループ20人ほどと一緒に、加西の石仏群を見に行ってきた。新聞などでもときどき取り上げられているそうだが、加西で発見された江戸時代の石仏の一部にキリスト教の影響が見られるという。その石仏を見学に行ったのだ。石仏と…

バイブル・エッセイ(29) 2つの怒り

このエッセイは、11月9日に行われた「七五三ミサ」での説教に基づいています。 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イ…

やぎぃの日記(9) 青年会の練成会

先週の土日に、青年会の練成会があった。練成会というのは、普段より長い時間をかけてキリスト教について学んだり、一緒に祈ったりすることで信仰心を鍛錬しましょうというような会だ。わたしも初めてだったのでどんなものなのかなと思って参加したが、とて…

マザー・テレサの言葉(13) 霊的な糧

ミサは、わたしを支えている霊的な糧です。 ミサなしでは、わたしは人生の一日も、 あるいは一時も過ごすことができなかったでしょう。 御聖体のうちに、わたしはキリストをパンの形で見ます。 スラムでは、キリストを貧しい人々のこころ痛む姿の中に見ます…

入門講座(18) エウカリスチアの秘跡②

《今日の福音》ルカ14:15-24 「神の国で食事をする人はなんと幸いなことでしょう」という言葉から、今日の福音が始まっています。先週お話しましたが、御ミサは神の国での食事の先取りです。ミサに与ることができるわたしたちは、それだけで幸いだと言えるで…