2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

バイブル・エッセイ(1075)イエスの憤り

イエスの憤り (そのとき、ラザロの)姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによっ…

こころの道しるべ(160)自分らしく

自分らしく のびのびと自分らしく成長できるのは、競争しなくてもよいと知っている人。「自分には自分のよさがあり、相手には相手のよさがある。競いあう理由など何もない」その確信が、自分らしい成長を可能にするのです。 『やさしさの贈り物~日々に寄り…

バイブル・エッセイ(1074)愛に目を開く

愛に目を開く イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行っ…

心の道しるべ(159)幸せに気づく

幸せに気づく 花に感動する心を持つ人は、公園で美しい花と出会ったら、心を震わせ、その日を特別な日と思うでしょう。花に興味がない人は、同じ花を見ても気づかず、「今日もつまらない日だった」と言うかもしれません。幸せとは、そのようなものです。 『…

バイブル・エッセイ(1073)喜びの泉

喜びの泉 そのとき、イエスは、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。サマリアの女が水をく…

こころの道しるべ(158)当然のように

当然のように 人からしてもらったことは決して忘れず、他の誰かが困っていれば自分も同じように助けの手を差し伸べる。人にしてあげたことはすぐに忘れ、相手が感謝してくれなくても決して責めない。それを、当然と思える人になれますように。 『やさしさの…

バイブル・エッセイ(1072)愛の輝き

愛の輝き イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさ…

こころの道しるべ(157)心のサイン

心のサイン 「疲れた」とあえて口に出すのは、「もう限界に近づいている。誰かにいたわってほしい」というサイン。「この人なら、もしかしたらいたわってくれるかもしれない」と思うからこそ発する言葉。その信頼に答えてあげましょう。 『やさしさの贈り物…