バイブル・エッセイ(1093)誰のために背負うのか

誰のために背負うのか そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、…

こころの道しるべ(173)利口さと賢さ

利口さと賢さ 誰かと出会ったとき、利口な人は「この人をどう利用できるか」と考えますが、賢い人は「この人はわたしに何を求めているのか」と考えます。利口な人は自分の優秀さを誇りますが、賢い人はすべての人の中に自分より優れた点を見つけ出します。 …

バイブル・エッセイ(1092)誰よりもイエスを愛する

誰よりもイエスを愛する 「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、…

こころの道しるべ(172)心のゆとり

心のゆとり 相手をあるがままに受け入れたいなら、あるがままの相手がすっぽり入るだけのゆとりを、心に作る必要があります。相手をあるがままに受け入れたいなら、「こうでなければならない」という思い込みを取り払い、心にゆとりを作りましょう。 『やさ…

バイブル・エッセイ(1091)言い広める

言い広める 「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は…

こころの道しるべ(171)そばにある幸せ

そばにある幸せ 庭の手入れや鳥の世話、豆から挽いた一杯のコーヒー。幸せは、わたしたちの身の回りの、ささやかなことの中に隠れています。大きな幸せを探しに、出かけてゆく必要はありません。すぐそばにある幸せを見つけましょう。 『やさしさの贈り物~…

バイブル・エッセイ(1090)収穫の働き手

収穫の働き手 そのとき、イエスは、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願…

こころの道しるべ(170)希望の誕生

希望の誕生 「この人と一緒なら、きっと幸せになれる」そう信じられる人と出会うとき、わたしたちの心に希望が生まれます。希望は、一人で見つけるものではなく、誰かと一緒につかむもの。誰かを心から愛したとき、わたしたちの心に希望が生まれるのです。 …

バイブル・エッセイ(1089)永遠に生きる

永遠に生きる 「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせる…

こころの道しるべ(169)してもらったこと

してもらったこと 疲れが溜まると、してもらったことより、してもらえなかったことの方が大きく見えてきます。相手をいたわるゆとりを失い、「わたしはこんなにして上げたのに」と思い始めるのです。してもらったことへの感謝を忘れないようにしましょう。 …

バイブル・エッセイ(1088)三位一体の喜び

三位一体の喜び 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁か…

こころの道しるべ(168)自分との関係

自分との関係 自分を嫌い、責め続けていれば、自分だけと一緒に過ごす時間、一人でいる時間は耐え難いものになるでしょう。対人関係はまず自分自身との関係を作ることから。思った通りに生きられない自分を受け入れ、愛することができますように。 『やさし…

バイブル・エッセイ(1087)愛の言葉

愛の言葉 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、…

【キリスト教書店大賞2023】

キリスト教書店大賞2023 日本中のキリスト教書店の店員さんたちが、いま一番読んで欲しい本を選ぶ「キリスト教書店大賞」、今年もノミネート作品が発表されました。各地の書店で、ノミネート作品を中心としたフェアも開催中。この機会にぜひ、昨年出版された…

こころの道しるべ(167)限界を知る

限界を知る 「そんなことくらい一人でもできる」というのは本当かもしれません。ですが、手伝ってもらえば、もっとよくできるかもしれません。自分の限界を知っている人、素直に手伝ってもらえる人が、結果として一番大きな実りをもたらすのです。 『やさし…

【2冊同時重版 御礼】

2冊同時重版 御礼 この度、『世界で一番たいせつなあなたへ~マザー・テレサからの贈り物』(2015年刊、PHP研究所)の第16版、『何を信じて生きるのか』(2022年刊、PHP研究所)の第2版が同時に決定いたしました。皆さまの応援に、心より感謝いたします。これか…

バイブル・エッセイ(1086)永遠の響き

永遠の響き 十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って…

こころの道しるべ(166)本当の強さ

本当の強さ 「恥ずかしい」とか「逆に怒られたらどうしよう」「面倒に巻き込まれたら困る」そんな気持ちに打ち勝って、助けの手を差し伸べられる人こそ、本当に強い人。本当の強さとは、自分の弱さに勝って、相手にやさしくするための力なのです。 『やさし…

バイブル・エッセイ(1085)聖霊によって生きる

聖霊によって生きる 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうとも…

【横田南嶺老師との対談】

横田南嶺老師との対談 PHP研究所の企画で、臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺老師と対談させて頂きました。テーマは「愛と慈悲をめぐって」。対談の様子は、6回に分けてYouTubeにアップされておりますので、以下のリンクからぜひご覧ください。 対談は、2023年2…

こころの道しるべ(165)愛を育てる

愛を育てる 愛するとは、相手のすべてを、あるがままに受け入れるということ。初めから相手のすべてを知り尽すことはできないので、わたしたちは一生かけて少しずつ相手を知り、愛を育ててゆくことになります。愛するとは、愛を育ててゆくという決意なのです…

バイブル・エッセイ(1084)生きた石

生きた石 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あ…

こころの道しるべ(164)憎しみの絆

憎しみの絆 愛には人を結びつける力がありますが、憎しみにも同じように人を結びつける力があります。誰かを憎むと、愛する人のことで頭が一杯になるのと同じように、憎い人のことで頭が一杯になってしまうのです。憎しみが結ぶ絆に気をつけましょう。 『や…

【講演会in神戸】『日々を生きる力』

【講演会in神戸】 『日々を生きる力~あなたを励ます聖書の言葉』 日時 2023年6月10日(土) 13:30 開場 14:00~15:30 講演会 場所 カトリック神戸中央教会主聖堂参加無料、事前予約不要 短い聖書の言葉にわかりやすい解説をつけ、366日分まとめた片柳神父の…

バイブル・エッセイ(1083)盗人の声と羊飼いの声

盗人の声と羊飼いの声 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連…

こころの道しるべ(163)自分の幸せ

自分の幸せ 幸せそうな人の真似をしても、それで幸せになれるとは限りません。大切なのは、その人にはその人にふさわしいものがあり、自分には自分にふさわしいものがあると気づくこと。他人は気にせず、自分にとって本当に必要なものを見つけましょう。 『…

バイブル・エッセイ(1082)心を開く

心を開く この日、(すなわち週の初めの日、)二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始めら…

こころの道しるべ(162)成長の証

成長の証 成長とは、これまで見えていなかったものが、見えるようになるということ。理不尽に思える苦しみでさえ、乗り越えたとき、「あの苦しみにも、確かに意味があった」と思えるようになるのは、苦しみの中で成長したからなのです。 『やさしさの贈り物…

バイブル・エッセイ(1081)信じるために

信じるために その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子…

バイブル・エッセイ(1080)復活の意味

復活の意味 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が…