バイブル・エッセイ(556)「自分を乗り越えてゆく道」


自分を乗り越えてゆく道
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ11:9-13)
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」とイエスは言います。とても力強い約束です。求め続け、探し続け、たたき続ければ、道は必ず開かれる。諦めさえしなければ、必ず道は開かれるというのです。
 わたしたちは、大きな困難に直面したとき、「とても乗り越えられそうにない」と思って最初からあきらめたり、「何度やっても駄目だ」と思って途中で諦めたりしてしまいがちです。ですが、本当にもう駄目だったのでしょうか。もしかしたら、あと1日探し続ければ見つけられたのに、もうあと1回たたけば開かれたのに、早々と諦めてしまっただけかもしれません。実際にはどうにかなることでも、「もう駄目だ」と思えば、その瞬間から本当に駄目になります。乗り越えるべきなのは、困難そのものではなく、困難に直面してくじけそうになる自分自身なのです。
 いま夏山のシーズンですが、わたしも以前はよく山登りをしていました。山に登っていると、次々と困難がやって来ます。ですが、どんな難所でも、全力をつくせばたいがい乗り越えられるものです。「これは無理だ」と思っても、よく見れば必ず登れる箇所があるのです。そうやって、次から次へと現れる困難を一つ一つ乗り越えてゆくうちに、いつか必ず頂上が見えてきます。人生もそのようなものではないでしょうか。次々とやってくる困難を、一つひとつ全力で乗り越えてゆけば、いつか必ず頂上に着くことができるのです。
 先にある困難を想像し、「こんな調子でずっと苦しい道が続くとすれば、とても無理だ」と初めからあきらめてはいけません。困難なときには、神様が必ずそれを乗り越えるための力も与えて下さるからです。「もう無理だ」と思うような場面でも、不思議とどこかから力が湧き上がって来るのです。
 「あの人は、もうあんなところにいる。何とかして早く追いつきたい」と焦ってもいけません。その人だって、そこまでたどりつくためには何十年も努力したのです。どんなに焦ったところで、すぐに追いつくことなどできるはずがありません。ですが、一日、一日を積み重ねてゆけば、いつか必ずわたしたちもその高みに立てるというのもまた確かなことです。大切なのは、あせらずに、一歩一歩道を進んでゆくことなのです。
 父である神様はわたしたちの願いを必ず聞き入れてくださいます。あきらめさえしなければ、道は必ず開けるのです。イエスの言葉に希望を置き、求め続け、探し続け、たたき続けましょう。