バイブル・エッセイ(827)神を愛する


神を愛する
(そのとき、一人の律法学者が進み出て、イエスに尋ねた。)「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。(マルコ12:28-34)
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」とイエスは言います。これこそが第一の掟、他のすべてをおいても、真っ先に実行すべきことだというのです。ですが、これはある意味でとても難しいことです。なぜなら、神さまは目に見えないからです。
 どうしたら、目に見えない神さまを愛することができるのでしょうか。そのためには、まず神さまがどれだけわたしたちを愛してくださっているかに気づくことだと思います。神さまの愛は、わたしたちの身の回りに、はっきりと目に見える形で示されています。例えば、いまの季節であれば赤や黄色に色づいた木々、道端に咲くコスモスなどの美しさは、神さまがわたしたちをどれだけ愛してくださっているかのはっきりした証拠です。神さまは、わたしたち人間のために、これほどまでに美しい世界を造ってくださったのです。
 自然だけではありません。わたしたち自身の命も、神さまが造ってくださったものです。今日、こうして生きていられること、食事がおいしくとれること、自分の足であるけること、すべては神さまがわたしたちに与えてくださった贈り物であり、神さまがわたしたちを愛してくださっていることの何よりの証拠なのです。家族や友人に囲まれ、楽しく毎日を過ごせることも、神さまがわたしたち一人ひとりを守り、愛で導いてくださっているからに他なりません。
 神さまがわたしたちをどれだけ愛してくださっているかに気づくとき、わたしたちは神さまを愛さずにいられなくなります。わたしたちを愛してくださる神さまに、心から感謝の祈りを捧げずにいられなくなるのです。感謝の祈りを捧げるとき、わたしたちの心は神さまの愛で豊かに満たされます。すると、不思議なことが起こります。心を満たした神さまの愛が、自然とわたしたちからあふれ出すのです。たとえば、誰かと出会ったとき、自然とにこやかな笑顔で挨拶できるようになります。貧しい人、苦しんでいる人を見ると、その人のために何かしてあげずにはいられないという気持ちになります。こうして、第一の掟を守る人は、自然と「隣人を自分のように愛しなさい」という第二の掟も実行できるようになるのです。
 昨日まで2日間、阿蘇YMCAで熊本地震被災者の皆さんのための食事会をしましたが、そこにボランティアとして参加した信徒の皆さんの顔も、喜びで輝いていました。誰も強いられて、いやいややっているという顔をしている人はいませんでした。それは、皆さんの心が神さまの愛で満たされているしるし、皆さんが神さまを愛していることの何よりのしるしなのです。神さまからの恵みに満たされて、その恵みを出会うすべての人と分かち合えるように。そのことによって、神さまの愛を人々に証し、伝えてゆけるように、心を合わせて祈りましょう。