余談(2) コメント大歓迎

 ブログを始めるにあたって、Web2.0ブームの火つけ役になったという梅田望夫氏の著作『ウェブ進化論』、『ウェブ時代を行く』や、梅田氏の姿勢に対して懐疑的な立場から書かれた西垣通氏の著作『ウェブ社会をどう生きるか』などを読んでみた。確かにWeb2.0と呼ばれるインターネットの双方向化や情報公開によって世界の民主化や平等化が進んだり、集合的叡智が現れたりするという話は、にわかに信じがたい。わたしの身の周りを見ても、まだまだインターネットをほとんど使ったことがないという人がたくさんいるし、アフリカに宣教に行っている友人のシスターは、その国の首都にいるというのにインターネットにほとんど接続できないと言っている。インターネットは、むしろ世代間の格差、貧困層と富裕層の格差、さらには言語圏による格差を広げる方向に動いているような気もする。また、人間にとって情報とは生きるために意味のある刺激だから、バーチャルな空間に集積できるようなものでもないという西垣氏の主張もわかるような気がする。情報は、生活のコンテクストに位置づけられてこそ意味を持つということだろう。
 だが、それらの欠点を認識しつつも、わたしはブログに大きな可能性があると思っている。ブログを始めて1ヵ月のうちに何人かの方からコメントやe-mailでご意見をいただいたが、それらの多くの人はわたしがブログを始めなければ出会ったり、再会したりする可能性の低い人たちだった。そういった方々から感想や意見を聞くことで学んだことも多い。講座の内容やミサでの説教などをネット上で公開することで様々な感想や批判が寄せられれば寄せられるほど、それらを反映したよい講座や説教ができるようになるだろう。わたしがネット上で公開したことに対して、不特定多数から反響が寄せられ、それが現実世界での講座やミサを変えていくということだ。もちろんリアルな世界での反響もあるが、それらの反響は六甲教会周辺からのものに限られるし、過去の発言などはすぐに忘れられてしまう。ネット上にある情報は、原理的にはインターネットにつながってる所からならどこからでも反響を聞くことができるし、サーチエンジンの利用によって過去の発言に対しても反響が寄せられる可能性がある。
 さらに、そもそもインターネットが持っている最大のメリットである、不特定多数への情報の発信というメリットはブログにも当然ある。「開かれた教会」を標榜する現代カトリック教会にとって、インターネットでの情報発信は当然行うべきことの一つと考えられる。
 長々と書いてしまったが、要するに「みなさん、どうぞこのブログにコメントを寄せてください!」ということが言いたかった。どうぞよろしくお願いします。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

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ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

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ウェブ社会をどう生きるか (岩波新書)

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