フォト・エッセイ(4) 紅富士


 もう2ヶ月以上前のことになるが、山中湖畔にある黙想の家で助祭叙階準備の黙想をした。
 これまで富士山の写真を撮ろうと思ったことは何回かあって、実際に挑戦したこともあったのだが、なかなかうまく撮ることができなかった。天候にも左右されやすいし、車を持っていないわたしが行ける場所には限界がある。それで、富士山はほとんど諦めていたのだった。
 今回も黙想がメインだし、歩いて行ける距離には限界があるので、あまり期待していなかった。ところが、なんと黙想の家のすぐ前にあるポートハウスの桟橋から、この写真に写っている富士山を見ることができた。黙想2日目の朝、指導してくれた神父さんに教えられて朝早く桟橋に出てみると、朝日に染まったみごとな紅富士が姿を見せていたのだ。あのときの感動は筆舌に尽くしがたいものがある。その日からずっと黙想会のあいだ中、毎日朝5時半に起きて桟橋に通っていた。
 富士山には、人を引き付ける不思議な力がある。存在感の大きい山だ。今、パソコンの壁紙にはこの写真を使っている。この写真を眺めていると、元気が出てくるような気がする。