フォト・エッセイ(11) 助祭叙階式の日の朝


 あの日の朝、わたしはいつもより少し早く目を覚ました。枕もとの時計を見るとまだ5時半頃だった。また寝ようとしたのだが、どうも寝付かれないままに過ごしていると、ふと窓の外から真っ赤な光が差し込んできた。引越しの関係で部屋を変えたばかりだったこともあって、その時間に光が部屋に差し込んでくるということ自体が驚きだった。あれっ、と思って窓の外を見ると今まさに太陽が家々の屋根の向こうから上ってくるところだった。赤々と輝きながら上ってくる太陽の美しさに心を惹かれたわたしは、すぐにカメラを手にとり、3階の自室から屋上の一番高いところまで駆け上った。そのときに撮った写真がこれだ。2008年3月29日、助祭叙階式が行われる日の朝のことだった。
 上ってくる太陽を見ながら、さまざまな思いが胸中をよぎった。これで東京での朝焼けは見納めだということ。長年にわたって慣れ親しんだ神学生生活も今日で終わりだということ。一緒に暮らしてきた神学生仲間や共に学んだ上智大学の友人、1年間介護を手伝わせてもらったロヨラ・ハウスの人たちなど、親しく心を通わせてきた人たちともこれでしばらくお別れだということ。そして、その日の午後からは聖職者としてのまったく新しい生活が始まり、翌日からは神戸・六甲教会での奉仕が始まるということ。
 そういったことを思いながら東京の街を眺めていると、見慣れた街並みに普段は感じたことがないような愛おしさが湧き上がってきた。真っ赤な朝日に照らしだされる家々、その一軒一軒に生活をしている人たちがおり、それぞれにそれぞれの幸せを求めて生きているのだという当り前の事実が、わたしの胸を熱くしたのだ。「ぼくにとってはイエス・キリストの愛をみんなに伝えることが幸せだ。これからたくさんの困難が待ち受けているかもしれないが、ぼくはぼくなりの幸せを求めて生きていこう」と、そのとききわたしは思った。
※写真の解説…東京・イエズス会石神井修道院の屋上から見た朝焼け。