余談(4) 若者は「病気」なのか?

 先輩のイエズス会員に勧められて、『僕のこころを病名で呼ばないで』という本を読んだ。精神科のお医者さんが、臨床で若者たちと接する中で感じた疑問を率直に記した本だ。とてもよみやすい文章で一気に読んでしまったのだが、読み終わってからわたしはしばらく考え込んだ。
 病名をつけるということには、病気の本人にとっては自分と病気の距離をうまくとって、病気に巻き込まれないようにするという大切な意味がある。だが、病名がついたために、病気だから仕方がないと言ってよくなるのをあきらめてしまうということも起こりうる。周りにいる人にとっても同じだ。病名をつけることで病気の人と病気を分けて考え、冷静に病気と付き合うことができる反面、あの人は病気だからということで付き合いをやめてしまうこともありうる。だから、病名をつけるということは両刃の剣だ。この本の筆者が懸念しているのは、現代社会では病名が過剰に使われ、大人が若者たちのありのままの姿を見るのを妨げているのではないかということだ。「健康と病気は連続した線上にあり、両者の間に明瞭な境界はない。病気とも言えない、健康とも言えないグレーゾーンが、両者の間にはある」と筆者は言う。このグレーゾーンにまで病名をつけることは、かえって大人が若者たちのありのままの姿を見るのを妨げるから避けるべきだというのが筆者の主張だ。
 これを読んではたと思い当たることがあった。そう言われてみれば、わたし自身も病んでいるのか健康なのかよくわからない部分がある。司祭を目指す身としてはなはだふさわしくないことなのだが正直に告白すると、わたしは人の話を聞くのが苦手だ。
 昔からそうだった。一番ひどかったのは小学生の頃だ。小学1年生の頃は授業がいやさに保健室に逃げ込んでいたのだが、しだいにそれもできなくなった。教室にいるようになってからは、授業をまったく聞かないばかりか、周りの生徒たちにちょっかいを出したり、1人でずっと話し続けたりしていたために先生からほとほと愛想を尽かされていた。そのため、わたしの席は先生の特別の計らいでいつも教卓のすぐ隣か斜め後ろに置かれていた。すべての生徒から切り離された、いわゆる「特別席」というものである。そういうことが小学校5年生まで続いた。小学校6年生のときの先生は変わった人で、わたしの態度にまったく反省がみられなかったにも拘わらず、わたしの席を生徒たちの間に戻してくれた。わたしの周りの席に勉強がよくできる生徒を置くことで被害を最小限に食い止めながら、様子を見ようとしたらしい。その結果、わたしもしだいに周りの雰囲気に飲まれておとなしくなったようだ。
 ここまでで終われば「いやぁ、昔はワルでしたよ」という話で済むのだが、わたしの場合そうはうまくいかない。それ以降も、中学、高校と授業中に先生の話を聞いた覚えがほとんどない。授業中に別の本を読んだり、寝たりしたことはよく覚えている。大学のときは、そもそもほとんど授業に出ていなかった。さすがに神学生になってからは変わりましたと言いたいのだが、そうは問屋が下さない。まだごく最近のことなので詳しくは言えないが、模範的な学生でなかったことだけは確かだ。
 小学生の頃のわたしには、今ならばほとんど間違いなく「注意欠陥多動性障害」という病名がつくだろう。大人になってからはうまくその傾向を隠しているが、わたしの発作的な行動や、人の話を聞かない傾向は基本的にまだ変わっていない。他にも、根拠のない過剰な自信、自己中心的思考、視野狭窄、不注意、物忘れ、写真に対する偏執的こだわりなど、「あの人は病気だ」と言われてもおかしくないような症状がたくさんあるし、今こうやって書きだしていると本当にわたしは病気なのではないかと思えてくる。今書き出したのはわたしが自分で気づいていることだけだから、気づいていない部分にはもっといろいろあるだろう。
 そう思うと、わたしが誰かに対して精神的な意味で「あの人は病気だ」などということは、まったくおこがましい話だ。「まず自分自身を知れ」と自分に言いたいくらいだ。人間はみんな、多かれ少なかれ病気の部分と健康な部分を持っている。病気の部分だけを取り出して相手の心を病名で呼ぶことは避けたい。むしろ、病的な部分と健全な部分を全体として見て、一人ひとりの人と関わっていきたいと思う。

僕のこころを病名で呼ばないで 思春期外来からから見えるもの

僕のこころを病名で呼ばないで 思春期外来からから見えるもの

 本文では紹介しなかったが、次の本もおもしろかった。看護士として精神科で長年働いた著者が、境界性人格障害と呼ばれる人々と体当たりで向かい合った日々を回想しながら綴っている。
天使の病理―人格障害は時代の病か (双書 時代のカルテ)

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