フォト・エッセイ(20) 明智平


 朝早くから蝉が全力で鳴いている。蝉に挑発されたかのように、太陽も激しく照りつけ始めた。まるで、我を忘れて本気でこの地上を焼きつくそうとしているかのようだ。今日はいったい何度まで上がるのだろうか。
 なぜ木曜日の午前中に司祭室でこんなことを書いているのかと言えば、昼から急な用事が入ったために週に1度のお休みがふいになってしまったからだ。まあ、嘆いていても仕方がない。せっかくなのでこの機会に、とっておきの涼しげな写真をみなさんにお見せしたいと思う。昨年の夏に、日光の明智平で撮った写真だ。日光は天然の冷蔵庫と言われているくらい涼しいところだが、この日も中禅寺湖の方から涼しい風が明智平に向かってめいっぱいに吹き上げていた。飛ばされるほどではないが、会話をするのが困難なくらいの風だった。あの日は、タイから来たイエズス会員のお客さんを案内して日光に行ったのだった。
 明智平は、日光の中でもわたしが一番気に入っている場所の一つだ。中禅寺湖から華厳の滝が流れ落ちるのを、これほどのスケールで見られる場所は他にない。日本中探しても、これだけ雄大な景色というのはそう多くないだろうと思う。青空があり、湖があり、そこから轟々と音を立てながら滝が流れ落ちている。いつまで見ていても、決して飽きることのない景色だ。空と大地がここで出会い、空に蓄えられた水がここから地上に流れ落ちているというような感じがする。普段はおしゃべりな一緒に行ったイエズス会員も、ただ黙ってこの景色に見とれていた。
 この景色を見ていると、地上のことがらだけに目を奪われて下界で生きているときには忘れていた色々なことを思い出す。世界はこれほどまでに大きく、美しいということ。人間が小さな輪の中で傷つけあったり、憎しみ合ったりしていても、そんなこととはまったく別の次元で自然は躍動しているということ。きっと、この世界に神はこの滝のように豊かに恵みの水を降り注いでいるのだろうが、人間はそれに気がつかずに生きている。
 時々、大自然に包まれて、自分が普段生きている世界を相対化してみるということがとても大切だと思う。大自然は、わたしたちに人間の世界とは別の次元の世界、「神の国」とわたしたちが呼んでいる世界の存在をわたしたちに思い出させてくれるからだ。その世界の前に立って自分を見つめなおす時間が、どうしても必要だと思う。




※写真の解説…1枚目が、本文で書いた明智平からの景色。2枚目は、やはり明智平から見た白雲の滝。3枚目は、中禅寺湖畔に建つ大使館の別荘。