フォト・エッセイ(23) 「かなの家」

《六甲教会の若者のみなさま》この夏、「かなの家」で「やぎぃの体験学習」を行います。定員が限られていますので、興味のある方は早めにご連絡ください。
 夏になると、毎年「かなの家」に行く。最初に行ったのは修練を終えて広島から東京に出てきた年だった。今から8年あまり前のことだ。修練中に読んだ本の影響で、東京に戻ったらぜひ行きたいと思っていた。
 「かなの家」というのは、知的障害者の人たちとの共生を目指してジャン・バニエという人がフランスで始めた「ラルシュ」共同体の一つで、静岡の山間部にある。静岡駅からバスで40-50分くらいのところだ。「かなの家」がある足久保地区には茶畑がたくさんあり、地区の真ん中にはお茶の精製工場まである。そんな場所で、知的障害を負った仲間たちと、彼らと共に生きることを選んだスタッフたちが同じ家で生活を共にしている。
 「かなの家」は作業所も併設しており、知的障害を負った仲間たちは昼のあいだ石鹸を作ったり、畑仕事をしたりして働いている。夏の暑さの中で石鹸の袋づめをしたり、畑の雑草を取ったりするのはなかなか厳しい作業だ。去年は若い神学生を1人連れて行ったのだが、畑仕事の途中で暑気あたりを起こしてしまった。わたしもかなりしんどくて、何回も水を飲みに行った。だが、仲間たちはそんなひ弱な都会の若者たちを尻目に、黙々と草取りや水播きを続けていた。彼らにとっては、それがごく当たり前のことなのだ。
 彼らの生活はとても質素だ。暑さ寒さは厳しいが、「かなの家」にはエアコンがない。食事も、少ない品数で十分な栄養を取れるようなものが出てくる。汗をかきながらみんなで大きな食卓を囲んで食事をしていると、なにかとても懐かしい感じがする。ちょうどわたしが生まれ育った頃の埼玉でも、同じような光景が見られた。あの頃の生活は、今の生活と比べたらずいぶん質素で厳しかったのだが、その分今よりももっと「生きている」という実感があったような気がする。エアコンの効いた部屋で、パソコンに向かったり本を開いたりというような生活をしているときには感じられない何かが、あの頃の生活にはあった。「かなの家」に行くたびに、汗をかきながら虫取りや魚釣りをして過ごしていたあの頃の夏を鮮明に思い出す。
 昨年は畑仕事だけで帰ってきたが、その前の年にはみんなで花火大会を見に行ったし、盆踊りに行ったり、プールで泳いだりした年もある。毎年、「かなの家」に行くたびにたくさんの夏の思い出ができる。そんな中でも、わたしが一番楽しみにしているのが毎朝の散歩だ。仲間たちは健康管理のためもあって、毎朝「かなの家」の近くを散歩する。川を渡り、茶畑やたんぼの間を歩いて、ため池の周りをぐるりと回ってて戻ってくると、だいたい40分くらいかかる。この散歩道の美しさは、言葉で表現しつくせないほどのものがある。朝露を浴びた道端の草花や茶畑の輝き、すみ渡った空、のんびり流れる白い雲、足久保川のせせらぎ、ため池の水面を吹きわたってくる風の涼しさ、鳥たちの鳴き声、すべてが一体になって歩いているわたしたちを包み込んでくれる。仲間たちとあちこちで道草をしながらゆっくり歩いて帰ってくる頃までには、朝の眠さはすっかり消えて、今日も1日がんばろうという力が体に満ち溢れている。
 今年は、六甲教会の若者たちを何人か連れて行こうと思っている。知的障害を負った仲間たちとのんびり1日を過ごし、豊かな自然の中で大きな深呼吸をすれば、彼らの心にきっと何かが生まれてくるのではないかと思う。仲間たちも若者たちとの出会いを喜んでくれるだろう。わたしも、1年ぶりで仲間たちの顔を見るのが楽しみだ。



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※写真の解説…1枚目、茶畑の向こう側に見えるのが「ラルシュ・かなの家」。2枚目、一面に広がるお茶畑。3、4枚目は本文で触れた散歩道の景色。5枚目、散歩中の仲間たち。