フォト・エッセイ(25) 舞子の海


 昨日は聖イグナチオの祝日だったので、午後から休みをもらって海に行った。少し前に舞子駅の近くにある学校に呼ばれて行ったときに明石海峡大橋と海岸を見たのだが、そのときから夏になったらきっと泳ぎに来ようと思っていた。
 舞子駅から5、6分歩いたところに「アジュール舞子」という人工的に造成された海水浴場がある。今回はそこで泳いだ。砂地に石が混じっていて少し歩きにくかったが、海の水は澄んでいて冷たく、泳ぐのには絶好のコンディションだった。平日で人の数があまり多くなかったので、少し沖に出ればいくらでも自由に泳ぎ回ることができた。周りではたくさんの若者たちが浮き輪やビーチボールなどで遊んでいたが、わたしは独りだったので、ただ黙々と泳いでは砂浜に上がって甲羅干しをするということを繰り返していた。3時間くらいそうやって泳いでいたと思う。
 海で泳いだのは、実はとても久しぶりだ。東京にいたあいだはプールで泳いでいた。最後に海で泳いだのは、福岡にいたときだった。「海の中道」の海岸で友だちと一緒に泳いだのが最後だ。プールと違ってコースがあるわけでもないし、前後で泳いでいる人とペースを合わせたりする必要もないので、のんびりゆっくり自由に泳ぎ回ることができたのがうれしかった。海の水の冷たさと、照りつける太陽の暑さのコントラストも心地よかった。
 ここのところイエズス会の会議やいろいろな出来事があって、心のなかにいろいろ不愉快なものが溜まっていたのだが、泳いでいるうちに波がそれらを洗い流してくれたような気がした。この冷たい水は神様からのプレゼントで、その中をわたしはぷかぷかと漂っているという気もした。1時間も泳ぎ回っているうちには、神様はこんなにもわたしを愛してくれている、何も心配することはないと思えるようになっていた。
 街で暮らしいてるときでも、本当はいつもわたしの周りには神様の愛の海が広がっているはずだ。海の水の量ほどに豊かな神様の愛が、いつもわたしの周りに満ちている。他人からの評価や噂話などを気にしないで、自由にのんびりとその愛の中を漂っていることができれば、わたしにとってそれが一番幸せだろう。舞子の海で泳ぎながら、そんなことを考えた。




※写真の解説…1枚目、舞子海岸の海水浴場「アジュール舞子」。2枚目、明石海峡大橋。3枚目、夕暮れ時の海と対岸の街。