フォト・エッセイ(27) 教会学校キャンプ2008

 教会学校のキャンプが、なんとか無事に終わった。今回のキャンプには、子どもたち66人とスタッフ40人、合計106人が参加した。このキャンプを準備するためにいったいどれだけの労力が費やされたか、キャンプ中にスタッフたちがどれだけ働いたかということを考えると、このキャンプは六甲教会の年間行事の中で最大のものだと言っていいだろう。そのキャンプが、昨日ついに終わった。
 わたし自身にとって、教会学校のキャンプにリーダーとして参加するのはこれが初めての体験だった。成人洗礼なので、子どものときに教会学校のキャンプに参加したという経験もない。やや不安もあったのだが、スタッフとして参加したたくさんの若者たちが機敏に動きまわり、食事、風呂、肝試し、山登り、キャンプファイヤーなどの日課を次々と実現してくれた。彼らの計画性と行動力には、キャンプのあいだずっと圧倒されっぱなしだった。普段教会では見たこともないほど真剣な顔で行事を取り仕切り、自由時間には子どもたちを肩車したり腕に抱えたりしながらキャンプ場を走り回って遊ぶ彼らの姿には、生命力が満ち溢れていた。そんな頼もしい彼らの姿を見ることができただけでも、キャンプに参加した意味があったと思う。
 もう30年くらい前のことになるが、わたしも夏のキャンプに参加していた時期がある。教会学校のキャンプではなく、当時通っていたスイミング・スクールのキャンプだった。3回くらいは参加したのではないかと思う。今回、子どもたちと触れ合う中で、そのときの自分のことが思い出されて仕方がなかった。リーダーが話している間に大きな声を出したり、移動中に列からはみ出して勝手な行動をとったりしてリーダーたちをてこずらせている子どもを見ていると、若干の後悔の念とともに、たまらないほどの懐かしさと愛おしさがこみ上げてきた。30年前の自分と彼らの姿が、ぴったりと重なってしまったのだ。
 今から思えば、あの頃のわたしは周りの人たちから受け入れてもらいたくて仕方がなかったようだ。子どもの頃のわたしは、とても太っていたし、運動も勉強もまったくできなかったことで大きなコンプレックスを抱いていた。いじめられたり、仲間外れにされたりする経験も小さな頃から数え切れないほどあったので、性格的にかなり歪んでいたとも思う。素直に周りの人たちと仲良くしたり、大人に愛情を求めたりすることができなかった。それでも、内心では誰かから愛されたり、受け入れられたりすることに餓えていたので、どうしていいか分からないままに自分勝手なやり方で周りの人たちに愛情を求め続けていた。そんな愛情への飢えが、多くの問題行動を生み、周りの人たちを困らせたのではなかっただろうか。リーダーたちをてこずらせる子どもたちを少し離れたところから見ながら、そんなことを思っていた。
 全体に、子どもは大人からの愛情を強く求める傾向があるようだ。しきりに手をつなぎたがったり、何でもないような話を聞いてもらいたがったりして、わたしの周りに子どもたちが近寄ってきた。そうやって大人の関心を引き、大人から受け入れられることで自分の存在を確認しているかのようだった。子どもの頃のわたしは、そんなこともできずに、素直に愛情を求める子どもたちを離れた所から斜めに傾いた心で見ていた。そのころの思いが、今でも心のどこかにしっかりと残っていて、わたしの性格に決定的な影響を与えているように思う。
 「大人になると忘れてしまうけれど、昔はみんな子どもだった」という有名な言葉がある。わたしも、30年前には確かに子どもだった。あのときの自分のことを思い出しながら子どもたち一人ひとりと丁寧に関わっていければ、わたしももう少し成長できるかもしれない。


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※写真の解説…1枚目、山登りに出発する子どもたち。2枚目、3枚目、キャンプ場の風景。