フォト・エッセイ(31) 雨の山小屋

《お知らせ》8月29日から31日まで、ラルシュ体験学習のためブログの更新、コメントへの応答ができなくなります。そのあと東京に行きますが、あちらでのインターネット接続状況を見ながら更新する予定です。9月21日以降は通常通り更新していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 教会学校のリーダー研修会で、奈良県御杖村にある山小屋に行ってきた。今回の研修会には、大学生のリーダーを中心として11人ほどが参加した。山小屋には「レーベンス・シューレ」という名前がつけられていた。ドイツ語で「生活の学校」という意味だそうだ。フランシスコ会のドイツ人司祭が、うっそうとどこまでも生い茂っている杉木立を切り開いて作ったそうだ。自然林の再生や自然の中での心の癒しなどを目的にしているという。
 わたしたちもそこで下草刈り、薪割りなどをして奉仕と癒しの3日間を過ごすはずだったのだが、残念ながらわたしたちの到着と前後して雨が本降りになり、そのあと3日間同じような調子で降り続いたので何もできなかった。途中ほとんど止みかけたり、30分くらい実際に止んだことも何回かあったのだが、基本的にはずっと同じような調子で雨が降り続いた。その山小屋に毎年行っているという参加者でも、こんなことは初めてだと言っていた。長い間には、こういうこともあるのだろう。わたしは、たまたま最初の回でそれに当たってしまったわけだ。まあ、来年以降も行くとして、これ以上悪い天気になることはないわけだから、あとは今回よりもよいか、あるいは同程度の天気に恵まれることになる。その意味ではラッキーなのかもしれない。
 仕方がないので、山小屋の中で3日間ずっと寝たり起きたり食べたり話したりということを繰り返していた。ときどき窓から空を見上げては、少し明るくなったなぁ、でもまた暗くなってきたなぁ、雨が早く止まないかなぁなどと考えたりもした。少し小降りになったときに外に出て、散歩をしたりもした。歩きながら心に響いてきたのは、杉木立に雨が静かに降り注いでいる情景だった。降りしきる雨が、山の静寂をより深いもにしているようだった。ときどき靄がかかったりして、山全体が幻想的な静かさに包まれていた。この静かさの中で、山の木々は水分をたっぷりと吸い込んで成長していくのだろう。
 その様子を見ながら、「神は沈黙の友です。自然が、木が、花が、草が深い沈黙の中でどうやって成長していくかを見なさい。沈黙の祈りの中で受けとれば受けとるほど、活動の中でより多くのものを与えることができます」というマザー・テレサの言葉を思い出した。そう思って見ると、杉の木立ちは深い沈黙の中で神の恵みを全身に受けているようにも見えた。わたしたち人間も、あれをしたい、これをしようと言って動きまわる行動主義から抜け出して、ときどき静かさの中に立ち返る必要があるのだろう。
 今回は雨のお陰で外での活動ができなかったが、その分、心のより深いところに神の豊かな恵みを受けたような気がする。若者たちとゆっくり、いろいろな話をすることができたのも大きな恵みだった。この恵みに生かされながら、明日からのラルシュ体験学習、そして東京での叙階準備に臨みたい。





※写真の解説…1枚目、杉木立。2枚目、レーベンス・シューレ。3枚目、小屋の内部。4枚目、雨で増水した小川。