《柳田敏洋神父様の御説教》


 9月21日に六甲教会で行われたわたしの初ミサでの柳田神父様の御説教です。紙にプリントしたものも用意しますので、御希望の方は事務室に取りに来ていただければと思います。土曜日までには準備できると思います。
《柳田敏洋司祭による片柳新司祭初ミサの説教》
2008年9月21日
カトリック六甲教会大聖堂にて

 ミサの最初に片柳神父さんから紹介がありましたけれども、私と片柳神父さんとは何か、浅からぬ縁があるということで片柳神父さんの初ミサの際に説教をさせていただくことになりました。この、今日集っておられる方の中に、片柳神父さんが書かれた『カルカッタ日記』というのをお読みになった方がおありではないかと思います。その中に出てくる「柳田神父」がこの私です。(笑)
〈片柳青年との出会い〉
 私は当時、イエズス会の最後のトレーニングである第三修練をしていまして、その9ヶ月の第三修練のプログラムの中の「5ヶ月の実習」として、今はコルカタと言いますけれども、当時のカルカッタに派遣されて、ここに今、四人のMissionaries of Charityのシスターがおられますけれども「神の愛の宣教者会」の施設で、一ボランティアとして働く、そういうような訓練をカルカッタで行なうことになりました。そして私が滞在していましたイエズス会修道院が、たまたま「神の愛の宣教者会」の本部修道院に近いところにあったので、早速ですね、本部の修道院でミサに与って、そこからさまざまなカルカッタ市内の「神の愛の宣教者会」が携わっている施設に出かけて行く、そういったプログラムをこなそうとしていました。
 そしてまさにその最初の日、この片柳神父さんが、まだちょっと、ひょろひょろっとした(笑)青年である時に会うことになりました。それが最初のきっかけでした。マザーハウスではだいたい5時50分くらいから早朝のミサが行なわれていて、まだ暗い中に入ってみると、本部の二階のお御堂はほとんど人が満員で、340〜50人の方たちで、そんなに広くない聖堂の中がぎっしり詰まっていました。私はその時に共同司式させていただいたのですけれども、そこで私もマザー・テレサにお目にかかることができ、そしてまた、そこで働いた何人かの日本人のボランティアの一人として片柳神父さんにここで初めて出会うことになった、ということなんです。
〈堅信式〉
 たまたま片柳青年はその時に、大胆なことに「マザー・テレサに堅信の代母になってもらいたい」(笑)というふうな一途な想いがあって、カルカッタまでのこのこやって来た、そういうとことがあって、それがですね、結局、またいろんなその後の不思議な出来事に繋がっていったということなんですね。その堅信の準備として、私がお世話になっていたイエズス会修道院の神父さまに霊的指導していただくということで、ミサが終わった後でいっしょに修道院まで戻って、それでいろいろ話をして、聴いていると、なんと同じイエズス会のガラルダ神父さんから洗礼を受けたということで、浅からぬ縁を感じて、同じカルカッタ市内の「死を待つ人の家」で働くということにもなりました。その中で、いろいろ悩みながらも、これから先、どんな風に自分の道を歩んでいったらいいのか、ということについて模索している彼を、間近で見ることができたように思います。
 『カルカッタ日記』の中にも書いてあります。お父様を亡くされて、いろいろ悩む中で、キリスト教に出会って、そうして洗礼を受けた。でも振り返ってみたら、「自分のカトリックの信仰というものは、やっぱり頭中心のものではなかったか?」と。そこに気がついて、「自分には祈りと愛の実践が足りない。では、どうしたらそれを補うことができるのだろうか?」、「そういうことを本当にやっている人を、間近に見る。あるいはそういう人に触れていく」、「それがいい、じゃあ、マザー・テレサだ」という短絡的にですね(笑)、決心して行動に出た。私たちが時々「えっ?」と思うような行動力を示したりする片柳神父さんの一端ではないかと思います。

 そして、カルカッタにやって来て、いろいろな手続きを済ませて、マザー・テレサに頼んで堅信の代母をしてもらうという、普通では考えられないことが進められている最中に、片柳青年に出会ったのです。この時にもですね、非常におもしろいことがありまして、堅信式が予定されていた日に、マザー・テレサが急に用事が入って出かけなければならなくなった。彼は、「堅信式にマザー・テレサがいない」そういう事態に直面せざるを得なくなった。「どうしよう、どうしよう」と彼は心配していたのですが、たまたまマザー・テレサの本部の秘書として、ひとりの日本人のシスターがおられて、そのシスターから「片柳さんにせっかくマザー・テレサが代母をしてあげてもいいよ、と言っていたのに、急に出かけなければならなくなったから、本人がうろたえている。何とか説得して欲しい」という話がきまして、そして二人で、「マザー・テレサもいいかもしれないけれど、堅信というものは、別に代母が誰であるとか、代父が誰であるか、そういうことは関係なくて、神さまの恵みをいただく大切な時だから、この堅信式というものをしっかり受けたらいいよ。」「でも〜、でも〜!」と彼は言ったのですけれども(笑)。しかしここがやはり不思議ですね。そうしたらマザー・テレサが傍を通りかかって事情を聴いて、「じゃあ、私が帰って来てからすればいい」と仰った(笑)。彼を説得しようとしていた私と秘書のシスターは呆気に取られていたのですけれど(笑)、やはりこういうふうなところで、もちろん人間的な条件を無視するということではないのですけれども、「それを超える神のはたらきの方に信頼していきたい。何かそこに自分の拠り所を見出していきたい」そういう片柳青年の一途な想いというようなものを、私はまたそこで体験することができたように思います。

 1994年の12月の6日に、彼はめでたくマザー・テレサが代母という形で、マザーハウスの本部聖堂で、堅信式を受けることができました。私はその時の堅信式のミサで共同司式をして、祭壇から写真をパチッと撮ったものが、その本の中にも載っていますが、こういうところからも彼の今の司祭としての歩みが始まっていたのだと思います。
そこでいっしょに「死を待つ人の家」で働きながら、年が明けた段階で、彼はマザー・テレサに堅信の代母をしていただいたことへのお礼ということも含めてですが、彼は皆さんもご存知のとおり、ずっと前からカメラに凝っていて、玄人はだしの写真を撮れるということで本部から「シスター方の写真を撮って欲しい」と頼まれ、そういう役目も仰せつかって、12月にあった終生誓願式とか、あるいは初誓願式の中で、シスター方の写真を撮る役目を果たすことも含めて、いろんな時にマザー・テレサと会うチャンスがありました。
〈司祭の道への呼びかけ〉
 年が明けたある時、彼はマザー・テレサから「あなたは司祭にならなければなりません」と言われまして(笑)、彼はほんとうに驚いてしまったのです。でも結局それが彼の心の中にずっと残り続けて、マザー・テレサから言われた「あなたは司祭にならなければなりません」という一言が、ずっとずっと彼を動かし、導き続けたのではないかと思います。

 しかし、正直に『カルカッタ日記』の中に書かれていますけれども、彼は「人一倍、世間的なものにも関心が強くて、司祭になるというのであれば、そういったものをやはり断念しなければならない。こういうふうなものを、どうしても自分は棄てきれない」とずっと悩んでいたということですね。一たん日本に戻って、また4月にカルカッタにやって来て、ということになるのですけれども、そこでまたマザー・テレサに出会ったときに、
「司祭になるための祈りをちゃんとしているの?」
「いや〜、まだなかなか踏ん切りがつかなくて、やれていません」
「じゃあ、しっかりと祈る時を持ったらいいでしょう」そういうふうに勧められて、本人はダージリンというところに黙想に出かけることになり、そこへ行く際にですね、マザー・テレサに「何か祈りのヒントになる言葉をいただけませんか?」というふうに片柳青年が頼んだところ、マザー・テレサは非常に快くその求めに応えて書いてくれたということです。そこに「イエスを愛する喜びをいつも心に持ち続けなさい」こういう言葉が書かれていたと。“Keep the joy of loving Jesus in your heart.”こういう英語ですけれども、「イエスを愛する喜びをいつも心に持ち続けなさい。」これが司祭となる、あるいは修道者となる際に、とても大切なことであるということでしょうね。
 彼はその後ずっと、その「イエスを愛する喜び」というものを、いかに自分の中に育むかということを、非常に大切に考えて、そしてそれに取り組んできたのではないかな、というふうに思います。最終的に、――いろいろな経緯があって、『カルカッタ日記』を読むとそういったことが書かれていて、ほんとうにおもしろい、興味深いのですが――、日本に戻って来て、そしてイエズス会に入会することになった。そして今日の片柳新司祭があるということです。私は1994年に出会って14年目、ついに「片柳神父様」のですね、姿を見ることになったということで、感慨ひとしおのものがあります。
〈イエスを愛する喜び〉
 しかし、よく言われることですけれども「司祭になる」それは、一つの段階としては喜ばしいことであるかもしれないけれども、やはりそれは出発点にすぎない。「これからこそが大切になってくる」ということですね。そこで、どんなふうな司祭としてこれから歩んでいく必要があるのか。やはりその鍵は、「イエスを愛する喜びをいつも心に持ち続けなさい」こういうふうに書き記してくださったマザー・テレサの言葉、それがヒントになるのではないかと思います。

 「イエスを愛していく」、それは、私たちキリスト教の信者誰もが心がけようとすることです。しかし司祭の場合はですね、「イエスを愛する喜びを心に持つ」ということをさらに深めていくということが、求められるように思います。それはいったいどういうことかというと、「イエスの喜びを自分の喜びとして感じられるようになる」こと。「イエスが喜ぶことを自分が喜ぶことができる」こと。「イエスさまは素晴らしい!イエスさまは素晴らしい!」というだけのイエスへの愛、イエスを愛する喜びに留まらず、「イエスが喜ばれることを自分も喜びとする」ことができる。そのようにですね、自分自身をより(・・)イエスさまの心と響く者へと深めていく、これが司祭の道ではないかと思います。

〈ぶどう園の譬え〉
 今日の福音でイエスさまは、天の国、神の国をぶどう園で働く労働者にたとえて語っておられます。当時は朝6時から、夕方午後6時までの12時間労働であったようです。1デナリオンという賃金が出てきますけれども、それは当時の一日の労働者の賃金としてふさわしい値でした。朝6時から雇い入れられた人たちに、ふさわしい賃金で契約をしている。しかし、このぶどう園の主人のすばらしいところは、朝6時からだけではなくて、9時に行って、12時に行って、3時頃にも、そしてそれだけではなくて、夕方5時ごろにも出かけて行って、そこにいる人を雇い入れる、ということですね。5時から雇ったら、もう6時まであと1時間も働けない。それでも、この主人は捜しに行く。これこそが神さまだ、ということですね。
 神さまは、こちらの方が「どうか雇ってください」と頼みに行く前に、神さまご自身が私たちのところに来て、私たちひとりひとりに声をかけ、そしてそのひとりひとりをご自分の畑で働くようにと雇い入れて、派遣してくださる。そして全く同じ賃金で、ということなんですね。
 神さまの愛は、全く私たちの思いを超えて、限りが無い。このぶどう園のたとえで非常に興味深いのは、たった一時間しか働かなかった人にも一日の賃金1デナリオンが与えられるのを見て、朝6時から働いた労働者は、もっとたくさんもらえるんじゃないか?と期待したところ、同じであった。ま、そこで文句を言う、ということですよね。「私たちは丸一日、暑い中を辛抱して働いていました」と。それは当然と言えるかもしれません。けれども、もう少し丁寧にこの福音の箇所を見てみると、もっと大切なことに気付けるように思います。

 当時はですね、このエルサレムに多くの労働者が、日雇い労働者として流入してきていた。もともとは農地を持った農民として働いていた。しかし、様々な天災あるいは飢饉というものによって作物を作ることができず、結局その農地を大地主に売り渡すとか、手放すというような形で農地を追われて、エルサレムに入って来た、そういう厳しい状況に置かれていた人々であった。特にその人たちは、一日働いて一日の賃金しか得られない。その時に仕事が得られるかどうか、生きるか死ぬか、というようなものが懸かっていた、ということですよね。
 5時頃に行った時に、主人が人々を見つけて「なぜ何もしないで一日中、ここに立っているのか」と尋ねると、その人々は「誰も雇ってくれないのです」とこういうふうに応えている。何もブラブラと遊んでいたのではない。仕事を求め、自分も雇われて仕事につきたい、そういうふうに思っていた人だ。けれども、誰も雇ってくれなかった。そういう時のひとりひとりの心の中の思いというのは、どうだったでしょうか?「あ〜、もう雇ってもらえないのではないか?」「今日どうしよう?自分には妻も子どももいる。妻や子どもに、どう今日一日食べさせたらいいのか?」ずっと不安や心配を抱えていた。そういう人たちだったんじゃないかと思います。
 5時というのは、ほとんど雇われる可能性が無いのです。しかし、そういう中にあっても、主人はやって来て話を聞いて、雇い入れ、一日の労賃を与える。一時間しか働かなかったとしても、その人たちは一日中ずっと同じ苦しみを抱いていた。そういう人たちではないのか。もしもここで主人と同じ心を、朝6時から働いた人も持つことができるならば、「あぁ、この人たちも雇ってもらえてよかったなぁ。この人たちもこれで、自分の妻や子どもに食べさせてあげることができる。よかったなぁ」こういうふうに喜ぶ心。これこそが主人と響く心を持つこと。そういうことではないのか。自分の立場だけを考えているならば、こういう形で雇い入れられるということに対して、「それは差別だ、不当だ、不公平だ」というふうにならざるを得ない。それはそれで一理あるかもしれない。でも神さまの愛は違う。その人がどのように立派であるか、あるいは、どのような問題をいろいろ抱え、いろいろな事を仕出かしてきたか、そういったことに全く関係なく、神は人に愛と慈しみを注がれる。これが神だ。イエスさまは「神の国とはそのような神さまの愛の関わりに与って、その関わりの中で生きることですよ。それに目覚めなさい」こういうふうに人々に、弟子たちに諭していかれる。
マザー・テレサに倣う〉
 マザー・テレサはまさにこのようなイエスさまの愛、神の国の愛の論理というようなものをご自分の生涯を通して示されたということだと思います。そのマザー・テレサから書いてもらった「イエスを愛する喜びをいつも心に持ち続けなさい」これは、非常に重みのある、そしてそれは結局、「イエスを愛する」ということが「イエスが愛するものを同じように愛して喜べる」そういう心へと深まっていってこそ、このイエスへの愛は本物になるのだと思います。

 マザー・テレサはしばしば「聖なる人になるように」そういうふうに言っておられました。“Be holy.”という言葉ですね。多くの人がマザー・テレサのところに行っていました。その聖なる人に近づく、触れるということを通して、自分もそのような聖性というものに与りたい。いろいろ悩んでいた片柳青年もですね、その一人、ということであったかもしれません。偉大な人に触れる、そのような人と交わるということを通して自分もその偉大さをいただけるんじゃないか、と。でも私たちは、そこからさらに一歩深めていかなければいけない、と思いますし、マザー・テレサが「あなたは司祭にならなければいけません」と片柳青年に言った時に、「より深まるように」というふうなものを求めておられたように思います。その「より深まる一歩」というのは「聖なる人に頼る」のではなく、自らが「聖なる者になっていく」ということですね。
パウロの言葉〉
 今日の第二の朗読で、パウロは「私の身によってキリストが公然と崇められるように」と書いています。「私の身によって、キリストが現れていく」ということ。ここもとても大切だと思います。司祭とは、よく「もう一人のキリスト」になっていくことだと言われます。そのような「もう一人のキリスト」になっていくために、私は、「キリスト教は信じる宗教」と言われていますけれども、「一歩踏み込んでいく」そういう立場がまた大切ではないかと思っています。それはどういうことかというと、「イエスを信じること」から「イエスを悟ること」ということへと踏み出していく。「イエスは素晴らしい救い主だ」そう信じて、堅く信仰を持って生きる。それはそれでいいかもしれない。しかし、それだけで果たして「聖なる者になっていく」ことができるのか。なかなかむずかしいような気もいたします。
そうではなくて、さらに一歩超え出て「イエスを悟るものとして、自分を切磋琢磨していく」このような一歩、というものが大切ではないか。それはイエスが悟り、生きておられた「神の国」を自分も悟り、それを人々に伝えていくこと。とりわけ、人々自身がこの「神の国」を見出していけるように励まし、導いていってあげること。そういうふうな役目が、司祭「もう一人のキリスト」としての役目ではないかと思います。しかしそれは簡単なことではありません。
〈信仰の闇〉
 実は皆さん、ご存知かと思います。昨年、マザー・テレサがお亡くなりになって10周年に際して、マザー・テレサの霊的書簡が世界中で出版されました。“COME BE MY LIGHT.”というダージリンへ向かう列車の中で、マザー・テレサがキリストご自身からインスピレーションをいただいた、その時のことばがタイトルにされている本です。『来て、私の光となりなさい』
 しかしその中身は、驚くべきものでした。片柳さんも本の中で書いていますけれども、マザー・テレサはほんとうにキリストと近しい関係にあった人だ。イエスと親しく交わる、そういう深い関わりが、彼女のあの過酷な日々の生活を支えているのだ、そういうふうに思っていた。私もそう思っていた。身近にいたシスターもそう感じていたに違いないと思います。けれどもそこに表れている霊的指導者である司祭に宛てた手紙の中には「神が不在である」「キリストが不在である」そのことが、淡々と、時に非常に激しい感情の動きというものを伴って、表現されている。“the darkness”そういうことばが、英語で使われている。「神不在」の暗闇をマザー・テレサは、修道会創立後しばらくしてからずっと体験し続け、それがほとんど最後の最後まで続いていた、というのです。
 しかしある時に、非常に優れた霊的指導者ノイナー神父様という方に、マザー・テレサは指導していただくようになり、「あなたが体験しているこの神不在の暗闇というのは、十字架のイエスに繋がるものだ」と示唆される。イエスさまは十字架上で『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』そういうふうに神からも見放された絶望、というものを十字架上で体験された。福音書の箇所はそのようにも読み取れます。神を求めても、神を見出せない。神の語らいを聞きとることができない。それがどれほど苦しいことであったか。しかし、このノイナー神父様の指導を通してマザー・テレサは「私は十字架上のイエスが体験された、その暗闇を共に担う者として神さまから召されたのだ」と気づくようになり、心はずっと穏やかになっていた。そういうふうに書かれています。
〈イエスに響く〉
 「真にイエスに響く者になっていく」ということ。「神の国を悟って生きる」ということ。それは結局、このようなマザー・テレサの暗闇を自分も同じように体験していく、それを雄々しく担っていくということに分け入っていく。それが求められるように思います。つまり、心の奥深くでイエスからの慰めを求めず、自己をも手放していけるという、真の「自己放棄」。そういうふうなものが求められるということではないかと思います。
 神さまからの慰めをいただきたい、イエスさまからも御ことばをいただきたい、それを激しく求める自分自身がある。キリストへの誠実を生きるのなら、そういう心が起こってきても当然です。しかし、最終的に真の神と響くようになっていくためには、そのように神からの慰めを求めようとする自分をも手放していくという徹底した自己放棄が求められるように思います。このような「闇を担う」ということを通して初めて私たちは、特に司祭は、イエスの心と響く者になり、真の奉仕者になっていけるように思います。
〈自分を直視する〉
 片柳青年は『カルカッタ日記』の中で、マザー・テレサから、司祭の道をしっかりとみつめて祈るようにと勧められながらも、「修道者になるという場合、清貧、貞潔あるいは従順といったものを、なかなか守りきれるかどうかわからない」と正直にこぼしています。いろいろな世間的なものに、人間的なものに対する関心というものから、自分は本当に自由になることができるのだろうか、と。
 でも、さまざまな経緯を経てイエズス会に入り、そして今、こうして司祭として初ミサを皆さんの前で立てています。じゃぁ、彼はもう、清貧や貞潔や従順というものが完璧に生きられているのか。いや、そうではない。(笑)イエズス会に入って、私がまた不思議なご縁で彼を修練で指導する、その後、彼が神学生として勉強している時、霊的指導を担当するということもしてきました。彼なりにいろいろ悩みがあるということですね。
これから司祭としてふさわしく歩んでいくために、この片柳神父さんに是非、お願いしたいこと。それは、「自分を直視することを恐れない」ということです。様々な弱さを司祭も抱えている。清貧に対して、貞潔に対して、あるいは従順に対して。
 しかし、それを恐れなく見つめていく時に、司祭だけでない、信者さんの中にもある痛みや苦しみというものがもっとよく理解できるようになって、もっと共感できるようになって、そして、よりふさわしくひとりひとりを大切に愛し、導いていってあげることができる。こういう道に進んでいくことができるのではないか、と思います。
〈聖なる人となる〉
 しかし、もう一つ大切なこと。それは、ひとりひとりを限りなく愛しておられる神さまが、私たちの中に、そして片柳新司祭の中にもおられる。そしてこのような内なる愛の神と響く、より真実な私、「真の自己」というものが、私たちの心の底にある。そしてこの「真の自己」は、この世的なものから自由になり、深い平和のうちに神さまと交わり、響くことをのみ求め、そこに安住していることができる自己です。
 司祭は、深く祈り、自己省察を深め、そして日々の務めを誠実に果たす中で、この神と響く内なる「真の自己」に目覚めていく、ということを求められていると思います。自分の弱さを直視しながらも、その奥にある神と響く自己を見出し、そのような自己をもって務めに取り組む中で人々を導いていく時に、弱さに深く共感できると共に、弱さの只中に閉じこもっているだけでなく、それを突破する道というものも示してゆくことで、“聖なる人”になってゆけるのだと思います。

 いろいろ話していて、長くなってしまいましたけれども、「イエスを愛する喜びを心の中に保ちなさい」このマザー・テレサのことばの中に、非常に深い、確かな世界があることをしっかりと心に留め、新司祭として歩んでいっていただきたいと思います。皆さんも、この片柳新司祭のためにどうぞお祈りください。
《柳田敏洋神父様の著作》
『日常で神と響く1』ドン・ボスコ社、2006年。
『日常で神と響く2』ドン・ボスコ社、2008年。