《お知らせ》10月15日から16日まで、静岡の「ラルシュ・かなの家」に出かけます。その間、ブログの更新やコメントへの応答はできません。
東京に住んでいたあいだ、この時期になると必ず昭和記念公園にコスモスを見に行っていた。昭和記念公園は、わたしが住んでいた修道院から1時間足らずのところにある。もともと自衛隊の基地だった土地を使ったという、広々とした公園だ。1周するのに2時間はかかるだろう。春は桜、菜の花、チューリップ、夏はポピー、秋はコスモス、そして紅葉と四季折々に美しい姿を見せてくれるので、わたしのような写真好きの人間にとってはたまらない場所のひとつと言える。毎年、4、5回は行っていたように思う。
中でも今頃、数万本のコスモスが一斉に開花する時期の美しさは言語に尽くしがたいものがある。真っ青に澄み渡った空の下で、さわやかな秋風に吹かれながら数万本のコスモスが揺れている様は、もうこの世のものとも思えないほどの景色だ。現代の東京にあのような場所があるということ自体が信じられない。のどかな田園風景の中で一群のコスモスが秋風に揺れているという景色にも心惹かれるが、広々とした公園の斜面に数万本のコスモスが咲き乱れる景色にはまた別の魅力がある。特に昨年のコスモス畑は、台風になぎ倒されることもなく、一面に広がったコスモスのピンクとすみ渡った秋空のコントラストが見事だった。
そもそも、コスモスという花自体が大好きだ。太陽を目指して高く伸びた細い茎、そして青空に映えるピンクの花。まさに可憐という言葉がぴったりだ。コスモスの花が風に揺れている様子は、なぜかわたしの心を強く惹きつける。太陽の日差しを一杯に浴び、さわやかな秋風に吹かれながら揺れているコスモスの花を見ていると、わたしの心の中にまでさわやかな風が吹き込んだような気分になるからかもしれない。
さわやかな秋風は、神様がわたしたちの心に送ってくださる聖霊の力を思い起こさせる。聖霊の風が吹き渡るとき、わたしたちの心の中に降り積もっていた悲しみや苦しみは吹き飛ばされ、生きる力がよみがえる。悲しみは喜びに変わり、苦しみは勇気に変えられる。どんなときでも、太陽のように降り注ぐ神様の愛を全身で浴び、聖霊の風に吹かれながら生きていきたいものだ。コスモスのように。
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※昨年の今ごろ、東京都立川市の昭和記念公園で撮影したコスモス。