やぎぃの日記(7) 老兵

 昨日は2箇所で初ミサを立てさせてもらった。
ロヨラ・ハウス》

 ロヨラ・ハウスはとても思い出深い場所だ。神学を勉強していた最後の1年間、週に1度お手伝いをさせてもらっていたからだ。お手伝いといってもわたしは何もできないので、寝たきりの神父様方のひげを剃ったり、食事の手伝いをしたり、話し相手になったり、そういうことをして過ごす日があったということだ。手伝いの日以外も、3時のお茶の時間には出きるだけ行くようにしていた。
 神学の最後の1年間は、論文を書くことが勉強の中心だったので、わたしはほとんど家にいた。自分の部屋と食堂、図書室、そしてロヨラ・ハウスの間を行ったりきたりして1日が終わるということも多かった。そんな生活の中で、ロヨラ・ハウスに行って神父さんたちと一緒にお茶を飲んだり、ボール遊びをしたりするのはわたしにとって大きな楽しみだった。神父さんたちと話したり遊んだりしているうちに、心の中にあった心配や悩みがいつのまにか消えているということも度々あった。
 わたしが一番やすらぎと励ましを感じたのは、夕の祈りの時間だ。車椅子の神父様方や杖をついたり、足を引きずったりした神父様方が聖堂に集まってきて静かに祈っておられるのを見ていると、わたしはいつも深い感動を覚えた。日本のあちこちでイエス・キリストの福音を証するために戦ってきた兵士たちが、年老い、傷ついた今、ここでイエス・キリストの前に再び集っているという印象を受けたからだ。もはや最前線で戦うことはできないが、彼らは今祈りで懸命に福音宣教を支えようとしている。この祈りに支えられて、わたしたちは歩んでいくのだ。そう思いながら、柔らかな光と静寂に包まれた聖堂で祈る時間は、わたしにとってとても大切だった。あの時間があったからこそ、神学最後の1年間を乗り切ることができたような気がする。
 そのわたしがこうして今、神父様方と一緒に御ミサを立てている。そう思ったとき、心の底から熱いものがこみ上げてきた。お世話になった山本襄治神父様を始め、たくさんの神父様がたが、今わたしと一緒に御ミサを立ててくださっている。わたしもついに、司祭として福音宣教の戦線に加わることができたのだ。これから何年働けるかわからないが、この神父様方の後についてわたしも最後までこの戦いを戦い抜きたい、そう強く思った。
《山本講座》

 夜、イグナチオ教会のザビエル聖堂で山本講座の皆さんのために初ミサを立てさせていただいた。しばらくご無沙汰していたにもかかわらず、たくさんの方が集まってくださった。お世話になった皆さんのために感謝の御ミサをささげられたことは本当にうれしかったのだが、同時に山本神父様が隣にいらっしゃらないということが残念でならなかった。
 山本神父様には、わたしが一番大きな困難に直面していた時期(長く続いた時期だが)に支えていただいた御恩がある。どうしていいか分からずに悩んでいたわたしを、山本神父様は「まあ長い人生にはこんなときもあるよ。神様に信頼して、安心していなさい。わたしもできる限りのことはするから」と言って度々励ましてくださった。その言葉がどれほど支えになったかわからない。
 山本神父様からは、他にもいろいろなことを学ばせて頂いた。どれほどの地位を与えられても決して高ぶることなく、自然体で淡々と使命を果たしていく謙虚さ。複雑な状況の中でも、さまざまな要素を勘案しながら一番よい方法を選び出されるバランス感覚。そして、自分の目の前にいる相手を大切にし、相手に自分のすべてを差し出すような愛情の深さ。わたし自身はいつになったら身につけられるのか分からないが、そのような模範を間近で見させていただいたことは大きな恵みだったと思う。
 そんなことを思い出しながら、御ミサの最後で改めて山本神父様の回復のために心から祈った。いつか講座の皆さんのために、山本神父様と並んで一緒に御ミサを立てられる日が来ることを願わずにいられない。
※1枚目の写真は鈴木伸国神父に、2枚目の写真は山本講座の方に写していただいたもの。