やぎぃの日記(9) 青年会の練成会


 先週の土日に、青年会の練成会があった。練成会というのは、普段より長い時間をかけてキリスト教について学んだり、一緒に祈ったりすることで信仰心を鍛錬しましょうというような会だ。わたしも初めてだったのでどんなものなのかなと思って参加したが、とても充実した内容で、あっという間に2日間が過ぎてしまった。1日目は、ロザリオの祈り、ミニ黙想会、殉教者についての勉強会と分かち合いなどをした。2日目は教会でミサに戻ってミサに出た後、近くの灘丸山公園に行って遊んだ。仕事などの関係で多少出入りがあったが、全部で15人くらいの若者が参加したようだ。
 六甲山の上はもう冬のような寒さで、夜の気温は4度くらいまで下がっていた。だが外の寒さとはまったく関係なく、夜の勉強会と分かち合い、そしてそのあとの懇親会はとても盛り上がった。殉教者をテーマに選んだのがよかったのかもしれない。勉強会では、今月列福されるペトロ・カスイ岐部の生涯についての発表があった。彼の生涯は、何度聞いてもすごい。司祭になりたいという一心でマニラ、ゴア、エルサレムを経てローマにまで到達したというその意思の強さにまず圧倒される。おそらく言葉も十分に通じない中で、いったいどうやってアラビアの砂漠を越え、徒歩でエルサレムまで到達することができたのだろうか。彼の話を聞いて、即座に叙階を許可したローマのイエズス会員たちの気持ちはよくわかる気がする。
 もっとすごいのは、叙階されてからの彼の行動だ。彼は、叙階されるや否や日本に帰ることを決心した。迫害の嵐が吹き荒れる日本に帰るというのは、ある意味で自殺行為だ。帰れば、まず間違いなく殺される。それでも彼は、ローマにとどまってイエズス会員として生きることを潔しとせず、迫害の中で苦しんでいる日本の兄弟姉妹たちのもとに帰ることを決めたのだ。彼の心に迷いがなかったとは思えない。司祭として活躍する場は日本以外にもいくらでもあったからだ。当時、タイにもフィリピンにもインドネシアにも、迫害を逃れて日本を去ったキリスト教徒たちがたくさんいた。彼らの世話をして一生を終えるという選択枝が彼の脳裏をよぎることもあったはずだ。にも拘わらず、彼は日本に帰ることを選んだ。そして日本で数年間、迫害下で苦しむ兄弟姉妹たちのために骨身を惜しまず働き、ついに捕らえられて殉教したのだ。
 まったくすさまじい信仰心と言わざるをえない。いったい何がそれほどまでに彼の心を燃え上がらせたのか。灼熱の砂漠の暑さの中で歩き続ける彼の歩みを、何が支えたのか。迫害の苦しみを味わうために日本に帰る船旅の途上で、彼を励ましたのは何か。東北の凍てつく寒さの中、追手を逃れる隠れ家で彼の心を熱くしたものはなんだったのか。
 おそらくそれは、心の奥底から彼に呼びかけるイエスの声だったに違いない。「迫害を受けて苦しむ日本の兄弟姉妹に、司祭としてわたしの愛を証してくれ」と願うイエスの声だけが彼を導き、支え、励ましたのだろうと思う。勉強会での発表を聞きながら、改めてそう感じた。分かち合いの中で若者たちともそのこと話したが、彼らもカスイ岐部神父の心に燃え上がった信仰の炎によって心に灯をともされたようだった。わたしも、この偉大な先輩イエズス会員にならって、雄々しく逞しく信仰の道を歩んでいきたいものだと思う。




※写真の解説…1枚目、六甲山YMCAのモミジ。2枚目、3枚目、灘丸山公園の桜。