フォト・エッセイ(53) 布引散歩


 朝、青谷の修道会でミサを立てた後、次の仕事まで時間があったので布引まで足を延ばした。8時過ぎに修道院を出てきたときにあまりにも空が青く、空気が澄んでいたので、いてもたってもいられなくなったのだ。近くのバス停から、教会とは反対の方向に向かうバスに乗って布引に向かった。
 まず目指したのは展望台だ。朝の陽ざしに輝く神戸の海を見たかったのだ。遠足の小学生たちの群れを追い越しながら、一気に展望台まで登った。期待通り、神戸の海は朝の日差しを浴びて光り輝いていた。輝きの中に、漁船や貨物船などの黒い影が行き来しているのがはっきりと見えた。まばゆく輝くその景色を眺めているうちに、心が少しずつ解放されていくのを感じた。いろいろな心配や思い煩いで覆われた心に、「神の国」から光が差し込んだような感じだった。朝の光と共に聖霊の光が心の中を照らし始めたのを感じたとき、「何も心配する必要はないな」と思った。心をこの光で満たしていれば、その光は必ず人々にも伝わる。だから何も心配する必要はないと思ったのだ。
 朝の光には不思議な力が宿っているようだ。心を清め、心の底に眠っていた何かを呼び起こす力が朝の光にはあるように感じる。木々にしても、朝の光に照らされた木々は何か特別な輝き方をしているようだ。朝の光を浴びながら、その光で輝く木々を見ていると、昨日までの自分の汚れがすっきりと清められるように感じる。展望台から港と街の景色を眺めているうちに力が体に満ちてきたのを感じたので、また山道を一気に下って布引の滝の脇を通り、新神戸駅を抜けて教会まで帰ってきた。教会では、病人訪問に車で連れて行ってくださる信者さんがわたしを待っていた。こうしてまた、新しい1日が始まったのだった。




※写真の解説…1枚目、王子公園の紅葉。2枚目、布引展望台から見た神戸港。3枚目、新神戸駅前の紅葉。