フォト・エッセイ(59) 清水寺から永観堂へ①


 今日は、清水寺から永観堂まで歩いた。今週あたりが紅葉の見ごろかなと思って行ったのだが、残念ながらもうほとんどのモミジが枯れかけていた。普通に見る分にはまだ楽しめると思うのだが、写真を撮るにはかなりつらい。ほとんどの葉が、もう端の方から枯れかけているのだ。先週、東福寺や嵐山で見たような、端まできれいに色づいているモミジの木はほとんど見当たらなかった。
 写真に撮ると、どうしても細かいところが目に付いてしまう。肉眼で見るならば気がつかないような小さなシミや汚れも、写真に写ると気になる場合が多い。葉の端が白く枯れているモミジの木を写すと、何か痛々しい写真になってしまう。
 だから、もうほとんどの木が枯れ始めている状況の中で写真を撮ろうと思えば、庭園の片隅などに残されたきれいな紅葉を見つけて歩くしかない。落ち葉の美しさを写すのも一つの手だ。今日はたくさんの庭園に行ったが、ほとんど隅の方や下の方ばかりを見てまわっていた。
 先週の紅葉は、大声でメッセージを叫んでいた。ぼんやり歩いていても、「世界はこんなにも美しいんだよ」、「神様はあなたたちをこれほどまでに愛しているんだよ」等と叫ぶ木々や葉の声が、否応なく耳に響いてきた。だが、今日のような条件ではよほど耳を澄まさなければ木々や葉の声を聞き取ることはできない。片隅の小さな美しさは、とても小さな声でしか語ってくれないからだ。
 わたしが見つけたいくつかの景色は、小さな声で「すぐに枯れていくからこそ、紅葉は美しいのだよ」、「また来年会おう」と語っていたようだった。







※写真の解説…1〜2枚目、清水寺の紅葉。3枚目、産寧坂。4枚目、高台院の紅葉。