フォト・エッセイ(67) ルミナリエ


 数日ほど前のことになるが、一日の仕事を終え修道院で夕食を食べた後、散歩がてら三宮まで足を延ばしてルミナリエを見てきた。ルミナリエと言えば、神戸の冬の風物詩のようなもので、全国からわざわざこのルミナリエを見るためにたくさんの観光客がやってくるほど有名な行事だ。わたしの母も、農協の団体に参加して埼玉からわざわざ見に来たとことがあると言っていた。
 「所詮はイルミネーション、たいしたことはないだろう」という思いもあったのだが、神戸に住んでいながらルミナリエを見ないというのも神戸に対して失礼のような気がしたので、忙しい合間を縫ってなんとか見に行ったというのが実際のところだった。それほど期待せず、むしろ義務感からに見に行ったようなものだ。
 大丸の角を過ぎ、街路樹を電飾が照らしているのを見たときには、「まあこんなものだろうな。予想通りだ」と思った。しかし、しばらく行って東遊園地の方に曲がり、ルミナリエの本当の入り口が見えてきたときには思わず息を飲んだ。それは、わたしの予想をはるかに越えた光の奔流だった。「光の洪水」という言葉がまさにぴったりするような光景だった。歩きながら、光の渦に飲み込まていくような感じがした。
 これほどのイベントを、大震災で街が壊滅した年の冬から始めたというのは本当にすごいことだ。一体誰が、大震災の数ヶ月の後、壊滅した街にこれほどの光があふれることを予想できただろうか。被災した神戸市民たちがこの光を見たときにどれだけ励まされただろうかと考えると、身が震えるような感動を覚えた。この光を見た人たちの中には、「まだ大丈夫だ。もう一度なんとかやってみよう」と思った人がたくさんいたことだろう。わたし自身、しばらく現実を忘れて光の世界を旅することで大きな力を与えられたように思う。光の回廊、光の宮殿、光の記念碑、光が織りなす夢のような世界は、それほどまでに美しかった。
 大きな悲しみと引き換えに、神戸の街は新たな力を得た。この光がいつまでも神戸の人たちの心を、そして神戸を訪れる日本中の人たちの心を照らす光となるようにと祈らずにはいられない。







※写真の解説…神戸ルミナリエの様子。元町駅前の大丸から東遊園地にかけての地域が、このような電飾で埋め尽くされている。