やぎぃの日記(14) 入門式

《お知らせ》12月17日から18日まで、山口・福岡方面に初ミサに出かけるため留守になります。

 来年の受洗に向けて、わたしが担当している金曜日の入門講座から1名、火曜日の入門講座から3名の方々が入門式を受けられた。入門式というのは、キリスト教に入信するためのプロセスの出発点となるもので、キリストの後に従ってキリストに学びたいという決意を公に表明する儀式だ。儀式の中で入門者は「主の祈り」を与えられ、求道者として教会に受け入れられる。今回入門した方々は、順調に勉強が進んでいけば今度の四旬節(復活祭前の準備期間)には洗礼志願式を受け、復活徹夜祭のミサの中で洗礼を受けることになるだろう。
 わたし自身も、今から15年前の5月にハビエル・ガラルダ神父様の入門講座で入門式を受けた。22歳のときだ。それから半年ほどして洗礼の恵みも与ることができた。まさか15年後に自分が神父になって誰かの入門式を司式することになるなんて、あのときは想像もできなかったことだ。あの式に出席してくださった方々も、そんな展開は予想できなかっただろう。今回、入門式を受けた4人の中にも20代の若者が2人いる。彼らのこれからの歩みを神様がどのように導いてくださるのか、本当に楽しみだ。
 司式しながら、出席している信者の皆さんがどれほど暖かい気持で入門者を見守ってくれているかということを実感した。わたし自身も入門者たちを励ましたい気持ちと、彼らが信仰の扉を叩いてくれたことへの喜びで一杯だったが、参加していた皆さんもわたしと同じような気持ちだったようだ。そのことが、入門者たちを見つめる彼らのまなざしや表情からうかがえた。
 喜びのうちに求道者を迎え入れたわたしたちは、同時に大きな責任も自覚しなければならないと思う。教会は、彼らのにために神の愛のしるしとなる使命を負っているからだ。これから彼らはイエスの後に従い、イエスと共にとどまることでイエスを知る期間に入るが、彼らにとってわたしたちとの出会いこそがイエスとの出会いの体験となり、わたしたちと共にとどまることこそがイエスと共にとどまる体験となっていかなければならない。求道者たちがいる期間、特にそのことを強く意識する必要があるだろう。
※写真の解説…晩秋の徳川道