バイブル・エッセイ(37) 羊飼いたちの笑顔

 このエッセイは、12月24日に六甲教会で行われた「子どもたちとともに捧げるクリスマス・ミサ」での説教に基づいています。

 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、
「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」
と話し合った。(ルカ2:8-15)

 今週の日曜日、中高生会の子どもたちが釜ヶ崎の「ふるさとの家」でクリスマス・コンサートをしました。普段、路上で生活しなければならない日雇い労働者の方々や、生活保護を受けながら孤独な暮らしをしている方々を招いて、クリスマスの喜びを共に味わおうという企画でした。
 最初、わたしは正直言ってどうなることかと思いました。あまりにも違った世界に住んでいる者たちの出会いだったからです。コンサートは2部構成でしたが、案の定第1部では子どもたちも、おじさんたちも緊張しているのが感じられました。子どもたちが一生懸命歌っても、どうも今一つ盛り上がりません。
 第1部の歌が終わったあと、おじさんたちとケーキやクッキーを食べながら話をするというコーナーがありました。子どもたちが教会で焼いてきた手作りのケーキやクッキーでおじさんたちをもてなしたのです。最初は子どもたちもおじさんたちもなかなか話すことができませんでした。ですが、最初に思い切って話し始める子どもたちが現れると、あとはあちこちで次々に話の輪が生まれれていきました。
 第2部が始まった時、コンサートの雰囲気はまったく変わっていました。子どもたちの歌声に合わせて、おじさんたちも歌ったり手をたたいたりし始めたのです。子どもたちの歌に合わせて、喜びの輪が会場いっぱいに広がっていくのがはっきりと感じられました。おじさんたちのうれしそうな顔といったらありません。中には、涙を浮かべているひとさえいました。歌が終わって会場から出ていく時、一人のおじさんは「こんなに楽しいクリスマスは何年振りだろう。また来年も来てくれよ」と言い残して寒風が吹きすさぶ釜ヶ崎の路上に戻っていかれました。
 今日の福音を読んでいたとき、天使のお告げを聞いて喜びに顔を輝かせながら「さあ、ベトレヘムへ行こう」と言っている羊飼いたちの笑顔と、コンサートのときに見た釜ヶ崎のおじさんたちの笑顔がわたしの中でぴったりと重なりました。羊飼いたちも、野宿生活をし、社会の中から見下されていた人たちです。天使から「あなたがたのために救い主が生まれた」と告げられたときの彼らの喜びは、自分の孫のような子どもたちが心をこめて歌うクリスマス・ソングを聞いたときに釜ヶ崎のおじさんたちが感じた喜びときっと似たものだったでしょう。羊飼いたちもおじさんたちも、天使や子どもたちの声を通して、自分が大切な人間なんだともう一度確かめることができたはずだからです。
 釜ヶ崎でのコンサートを思い出すにつけ、福音宣教とはきっとこういうことなんだろうなと感じます。異なった世界のあいだにある隔ての壁を取り除き、神様の愛の中で一つに結ばれる体験があれば、その体験の中でこそ人々の心の中に新しい信仰の炎が一つひとつ燃え上がっていくのではないでしょうか。中高生を見習って、わたしたちも福音の運び手になっていきたいものです。

※写真の解説…1枚目、釜ヶ崎、「旅路の里」前の様子。2枚目、クリスマス・コンサートの様子。