フォト・エッセイ(71) 津和野への旅


 来年の3月に、津和野教会で中高生のための練成会をする。その下見として、中高生会のリーダー3人と一緒に津和野へ行ってきた。草津のお湯のお陰で、風邪はもうどこかに行ってしまったようだ。
 今回は津和野の一駅手前の地福駅で降り、国道を歩いて津和野に入った。練成会の時に、子どもたちにも歩いてもらおうと思っているからだ。津和野の殉教者たちは、当然ながら徒歩で津和野まで連行された。歩くことが、殉教者たちと共感していくための一つの手がかりになればいいと思う。地福駅から津和野の乙女峠までは、およそ20キロほどの道のりだ。田んぼや畑の間を通る平坦な道を、リーダーの若者たちと一緒に黙々と歩いていった。津和野の入り口にあたるトンネルを抜けると、山々のあいだから川沿いに細長く広がった津和野の街並みが見えてきた。
 街に入ってから、まず「なごみの湯」という公営温泉に向かった。もう夕方になっていたので、先にお風呂に入ってから教会に行こうということになったのだ。春には、子どもたちもこの温泉に入れる予定になっている。
 温泉につかりながら、リーダーたちと教会での若者の活動について色々なことを話した。今、六甲教会の若者たちは3つにわかれて行動することが多い。教会学校のリーダー会、中高生会のリーダー会、そして青年会のそれぞれに若者たちが集まって活動している。それぞれが教会のために大きな貢献をしているのだが、残念なことに、若者の全体数が減ったことでどの会もメンバーが不足している。このままでは3つとも存続の危機を迎えかねないまでになっている。いやでも若者たちの活動全体を見直さなければならない時期が来ているようだ。
 このような局面では、まずそれぞれの会が何のために存在しているのかというところから議論しなければならないだろう。そのためには、教会とはそもそも何なのか、教会が真にあるべき姿とはどのようなものなのかというところから話し始めなければならない。教会学校にしても、中高生会にしても、青年会にしても、教会の一部として教会のために存在しているからだ。理想の教会を作っていくために、それぞれの会がどのような役割を果たすべきなのか。若者たちはそれぞれの会にどのように関わっていくべきなのか。
 若者たちの活動がどうあるべきなのかについて、わたしは何も答えを持っていない。ただ、どこでどのような問題が起きているかを知っているだけだ。問題を若者たちと共有することによって、若者たち自身が教会のあり方について自分たちなりのビジョンを持ってくれればと思う。結局のところ、この教会は彼ら自身の教会なのだから。







※写真の解説…1枚目、稲荷神社から見た津和野の街。2枚目、ライトアップされた津和野教会。3枚目、津和野教会の内部。4枚目、津和野教会の前を流れる掘割。