やぎぃの日記(18) 2008年の大晦日


 2008年が終わろうとしている。今、六甲教会の司祭室でこのブログを書いているが、外は凍てつくような寒さだ。道にはほとんど車も走っておらず、あたりを静寂が包んでいる。冷たく静かな大気のあちこちに、ゆく年を振り返り、新年に向けて心を準備しようとする人々の思いが混じっているようにも感じる。
 今年は、わたしにとって本当に大きな恵みの年だった。無事に神学最終試験を終え、大学を卒業できたこと。助祭叙階の恵みを受け、六甲教会に派遣されたこと。六甲教会でたくさんの人々と出会い、暖かく受け入れていただいたこと。そして、司祭叙階の恵みを受け、神父としての新しい歩みを始められたこと。どれ一つをとっても人生の節目になるくらい大きな出来事だが、司祭叙階の恵みは別格と言っていいほどに大きかったと思う。
 ミサを立てられるということがどれほど大きな恵みか、正直言って神学生時代にはまったく想像もつかなかった。全身全霊を神様にお捧げすることで神様の愛の目に見えるしるしになること、わたしの心と身体のすべてを使って神様の愛を表現すること、それがミサを立てるということだと思う。自分のすべてを神様に差し出すとき、神様は計り知れないほどの恵みでわたしを包んでくださる。どんなことがあっても、この恵みさえあれば司祭として生きていけるだろうと思えるほど、その恵みは確かで力強い。
 神様の愛の力で、わたしという一台の電車が走り始めた。恵みの力に満たされて、神様が引かれた線路の上をどこまでも力強く走っていきたいものだ。
※写真の解説…JR山口線地福駅にて。出発したディーゼル車。