フォト・エッセイ(75) 初登山


  天気がよかったので六甲山に登ってきた。今年はじめての登山だった。今回は杣谷道を登って山上に出てから、記念碑台を経由して紅葉谷道に入り、有馬温泉まで歩いた。途中、雪が積もっていて歩きにくい部分もあったが、なかなか気持ちのいい初登山だった。秋に紅葉を見に行った時にも立ち寄った穂高湖には、全面に薄氷が張っていた。
 多くの木々は葉を落としており、全体に白っぽくてさびしい景色が多かった。寒さも厳しかったので、今回はあまり写真を撮らず黙々と足早に山道を歩いていった。時折、川のせせらぎや小さな滝、天にまで続いていくような美しい山道などに出会うと足を止め、しばらくその場にたたずんでその景色を味わった。考え事をするのにはちょうどいいコンディションだったと思う。至るところに美しい新緑や紅葉があるというようなときには、写真に夢中になってしまって考えることができないからだ。
 歩きながら改めて確認したのは、修道者としてのわたしの人生はこの山登りと似ているということだった。時折すれ違う登山者はいるが、基本的には1人で進んでいく道のりだ。今は六甲教会でたくさんの人たちに囲まれて楽しく生活しているが、来年にはこの共同体とも別れてまったく別の地で働くことになる。その場所でもう一度はじめから人間関係を作りなおしたとしても、その場所もまた数年で離れなければならない。教会で出会うたくさんの人たちは、結局のところ山道で挨拶をかわしながらすれ違っていく登山者たちのような存在なのだと思う。
 だが、イエスだけは違う。イエスだけはどこに行ってもわたしの傍らにいて、わたしとともにこの人生の道のりを歩いてくれる。イエスが一緒にいてくれる限り、わたしは孤独に苦しんだり、人生の無意味さに悩んだりすることはないだろう。1人で冬の山道を登りながら、そのことをしみじみと思った。
 教会でたくさんの人に囲まれて忙しく働いたり、若者たちと一緒に楽しく過ごしているときでも、このことを忘れないようにしたい。結局、わたしにとって最後の拠りどころはイエスだけなのだ。







※写真の解説…1枚目、灘丸山公園から見た神戸の街。2枚目、杣谷道。3枚目、結氷した穂高湖。4枚目、有馬温泉の街並み。