フォト・エッセイ(76) もちつき大会


 昨日、教会学校のもちつき大会があった。前の晩から降り始めた冷たい雨は、もちつき大会の始まる少し前から雪に変わっていた。六甲山の上の方が白くなっているのに気づき、もしかすると下も雪になるかなと思って空を見上げていたところだった。
 この天気では子どもたちが集まるかなと心配したが、結果としてたくさんの小学生や中高生が来てくれた。御父兄や壮年会、婦人会などの皆さんも、もち米を炊いたり、もちのつき方を子どもたちに指導したりして手伝ってくださった。寒かったが、とても賑やかで楽しいもちつき大会だった。みんな、この日を待ちわびていたかのようにうれしそうな顔だった。子どもたちがついたもちを最後にわたしも食べさせてもらったが、とてもおいしかった。もちをこれほどおいしく食べたのは久しぶりのことだ。思えば、今年初めて食べるもちでもあった。
 もちつきの様子を見ながら、自分自身が子どもだったころのことを思い出した。片柳家では、毎年12月の終わり頃に家族総出でもちつきをするのが習慣だった。昔の農家によくあった半自動の大掛かりなもちつき機を父がセッティングしているあいだ、祖母や母、叔母たちはかまどでもち米を炊いていた。もち米が炊き上がると、次々に運んで機械の中に投じていった。親戚一同に配るくらいたくさんのもちをついたような気がする。つかれたもちは、その場でのしもち、水もち、かがみもちなどに加工されていった。わたしも、もちを延ばしたり切ったりするのを手伝ったものだ。
 うちは農家だったので、年に数回ある繁忙期には家族総出で作業をすることがあった。そのようなときや年末のもちつきのときには、家族の絆というようなものを子ども心にもしっかりと感じることができたように思う。おばあちゃんも、父も母も、叔母たちも、みんなが力を合わせて一つの作業に取り組んでいるとき、家族が一つに結ばれているという確かな実感があった。
 そんなことを思い出しながら、年配の方々が子どもたちにもちつきの指導をし、お母さんたちがお米を炊き、若いリーダーたちが子どもたちを励ましているのを見ているうちに「ああ、この教会も一つの家族なんだな」という気がした。みんなと一緒にもちをつき上げていく中で、子どもたちもきっと何かを感じ取ったに違いないと思う。




※写真の解説…1枚目、模範に見入る子どもたち。2枚目、お餅つきの一コマ。3枚目、つき上がったお餅。