久しぶりに映画を見てきた。曹洞宗の開祖、道元の生涯を描いた『禅・ZEN』という映画だ。フランス現代哲学、特にデリダの脱構築論との関係で道元が再び注目された時期に、その論旨で書かれた本を読んだことがある。道元に触れるのはそのときが初めてだったが、言語や概念を過信する近代人の虚を突く道元の斬新な教えにとても感動した。そんなこともあって、今回の映画は封切前から楽しみにしていた。
全体として、とてもいい映画だったと思う。特に、仏の道、この世にいながら極楽浄土を生きる道を探し求める道元とその弟子たちの一途でひたむきな姿が心を打った。「執着から解放されて、ありのままを見よ」という教えや、「すべての人の中に仏がいる」という教え、「大海の中で水を探せ」という教えなどは、イグナチオの霊性とも響き合うものがある。真理を求めて純粋に生きる道元を慕って弟子たちが集まってくる場面や、臨終の道元を弟子たちが見守る場面などでは、マザー・テレサと道元が重なって見えた。
わたしも15年前にインドに旅立ったころや、11年前にイエズス会に入会した頃には、彼らのように全てを捨てても真理を見つけたいという熱い思いを持っていたように思う。ところが、近頃のわたしはどうだろうか。修道者であることに慣れて、何か大切なものを見失ってしまったのではないだろうか。映画を観ながら、そんなことも思った。
なにより大切にしたいのは、自分自身よりも真理を大切に思い、一切の執着を捨てて真理だけを追い求めるひたむきな心だ。長く修道生活を続ける間に、牡蠣殻のように心についてしまった様々なものへの執着をそぎ落としたい。道元の姿を見ているうちに、そんな気持ちになった。新年に見るのにふさわしい映画だったと思う。
※写真の解説…福寿草。埼玉県長瀞にて。