フォト・エッセイ(80) 冬の京都②〜建仁寺・大雄苑〜


 建仁寺から、高台寺知恩院を経て銀閣寺まで歩いてきた。今回は、主に禅寺の庭園を見てまわった。
 秋に清水寺から永観堂まで歩いたとき、建仁寺の近くを通った。だが、残念ながらそのころはまだ名前も知らないお寺だったので素通りしてしまった。建仁寺に興味を持ったのは、映画『禅』を観たあと何冊か道元関係の本を読む中でこのお寺の名前をたびたび目にしてからだ。建仁寺臨済宗の開祖、栄西が開いた寺で、道元はこの寺で栄西の下しばらく禅の修行をしていたことがある。有名な庭園があるとガイドブックに書いてあったこともあって、今回の京都散策の第一の目的地にこの寺を選んだ。
 河原町から建仁寺まで歩いて行った。京都の地理がよくわからないので地図を片手に進んでいったが、しばらく歩くと料亭のような日本家屋が両側にずらっと並んでいる道に出た。どうも祇園という地域に入ったらしかった。ずいぶんにぎやかなその道を抜けたところに、建仁寺があった。
 建仁寺は、やはりあまり知られていない寺なのかもしれない。わたしが方丈に入って行ったときには、わたし以外にほとんど観光客がいなかった。方丈に面して有名な枯山水庭園「大雄苑」があるが、そこにも観光客の姿はなかった。ただ隅の方で2人の大工さんが雨戸の修理をしているだけだった。縁側がちょうど陽だまりになっていて暖かかったこともあり、これ幸いとその場に腰掛けてじっくり庭園と向かい合うことにした。
 「大雄」という名前の通り、とても堂々としてスケールの大きい庭だ。素人なのでその庭が何を表現しているのかというようなことまでは分からなかったが、いずれにしてもじっと向かい合っているうちに何かが心に沁みこんできた。心の表面を厚く覆っていた雲のあいだから、暖かな日差しが入り始めたような感じだった。「心がほぐれる」とは、ああいうことを言うのだろう。しだいに、心の表面を覆っていた雲が漠然とした形をとり始めた。雲が少しずつ小さくなってきたということだろう。
 禅の庭は、自分の心を映す鏡のようなものなのかもしれない。向かい合っているうちに、自分の心を客観的に見つめることができるようになってくる。しばらくの間、自分の心と向かい合いながら穏やかに時を過ごした。







※写真の解説…1、2枚目、建仁寺方丈の枯山水庭園「大雄苑」。3枚目、建仁寺本堂の天井画。4枚目、鴨川の流れ。