フォト・エッセイ(84) 長瀞の蝋梅


 この季節になると、長瀞の蝋梅園を思い出す。東京にいた頃は、この時期になると毎年行っていた。まだ他の花が咲いていない時期だからということもあるが、真っ青な空と秩父の山並みを背景にして咲きほころぶ蝋梅の黄色い花は、それ自体としてとても美しく、魅力的だった。
 最後に行ったのは2年前の今ごろだ。あのときは、二條ちゃんも一緒だった。チャドに行く直前の時期だったと思う。あのころ彼女は、チャドに行く準備をしながら東京の修練院の手伝いをしていたようだった。毎日、お米を10キロ背負って市ヶ谷の辺りを1時間くらい歩き、体力を作っていると言っていたのを思い出す。
 あの日わたしたちは、長瀞駅の一つ先の野上という駅で降りて宝登山の登山道に入った。「長瀞アルプス」と呼ばれている登山道だ。それほど険しい道ではなかったが、神学生として勉強ばかりの日々を過ごす中で体がなまっていたこともあり、歩き始めて間もなくまたわたしは彼女に後れをとってしまった。二條ちゃんは、朝早く起きて作ったというわたしたち3人分のお弁当を背負っていたにもかかわらず、軽快な足取りでどんどん先に進んでいった。先に進んでいく彼女たちを、「おーい、待ってよ」と言いながらわたしが追いかけるという形だった。
 汗をたっぷりかきながら最後の石段を上り詰めると、山頂で彼女たちがわたしを待っていた。疲れ切ってはいたが、彼女たちの笑顔と、満開に咲きほころんだ蝋梅、澄みわたった青空、見渡す限りに広がった秩父の山並みに迎えられてわたしは確かにあのとき幸せだった。
 山頂で、彼女が作って来てくれたお弁当を食べながらいろいろな話しをした。チャドの厳しい現実のこと、自分の属する修道会の将来のこと、自分自身の将来のことなど話しは尽きなかった。下山中も、帰りの電車の中でもずっとそんなことを話し続けていた。当時、わたしは大きな試練の中にいたのだが、彼女の「だいじょうぶよ」という言葉を聞いているとほんとうに何も心配する必要はなという気持ちになることができた。
 チャドで彼女が埋葬された今、あの日の思い出はわたしにとって生涯忘れられない宝だ。これからもあの日の彼女の笑顔、彼女の声がわたしを励ましてくれるだろう。







※写真の解説…埼玉県長瀞町宝登山蝋梅園にて。