やぎぃの日記(30) 映画『おくりびと』


 『おくりびと』が、アカデミー賞外国語映画賞を受賞したと聞いた。以前にこのブログでも書いたが、わたしもあの映画を見て感動した観客の1人だ。
 先日、葬儀屋さんと一緒に車に乗っているときに「あの映画がアカデミー賞にノミネートされたそうですね」という話しをしていたところだった。あの映画のことは、前から葬儀屋さんたちと話すときの話題になっていた。受賞が決まった日の翌日にも教会で葬儀があり、また葬儀屋さんたちと会った。葬儀の前に不謹慎ではあったが「アカデミー賞、取りましたね」とこっそり彼らに話しかけると、とてもうれしそうな顔をしながら「やりましたね」と応えてくれた。非常に尊い仕事でありながら、不当にも差別されている葬儀屋さんを主人公にした映画が認められたということは、葬儀屋という職業自体が社会から認められたに等しい。このニュースを聞いて、わたし自身もうれしかった。
 わたしは、ここのところいつも葬儀屋さんたちと一緒に仕事をしている。今日もそうだった。朝6時頃に信者さんの家族が帰天されたという電話が入り、臨終の祈りのために病院に駆けつけたところから始まって、昼過ぎに別の方の追悼ミサをし、御遺族と一緒に墓地に行って埋葬の儀式を済ませ、帰って来てから朝の方の通夜を司式するというようなことで、朝から晩まで葬儀屋さんにお世話になりっぱなしだった。今日は、墓地で埋葬を担当している方々にもお世話になった。
 死者を送る儀式は、死者のためというよりも残された人々のためにあるのだとわたしは思う。「帰天」された方々は、文字通りいま天国におられるのだからあまり心配がない。心配があるのはまだ生きていて、故人の思い出を胸に抱え、悲しみの涙にくれている御遺族や友人たちだ。亡くなった方々の人生に対して払うべき敬意を払い、故人から頂いた恵みに対して十分な感謝を捧げ、申し訳なかったとことについては率直にお詫びをしなければ、彼らの心に平安が訪れることはないだろう。葬儀屋さん、火葬場の職員さん、埋葬をしておられる方々など、いつも人間の死と向かい合って仕事をしている方々は、残された人々がそのようなプロセスを踏んで立ち直るための手助けをしているのだと思う。
 これは本当に尊い仕事だ。言われのない偏見で人から見下されたり、悪口を言われたりしても、悲しみにくれている人々の心を癒すことができるならばという一心で死者を送る仕事をしておられる方々は、まさに日々十字架を背負いながらイエスの後に従っているのだと思う。これからも、彼らと二人三脚で司祭としての使命を全うしていきたい。
※写真の解説…灘丸山公園から見た朝の神戸の街。