《アフリカの視点から見た「主の祈り」》

 「アフリカの主の祈り」として知られているこの文章は、それ自体としては祈りではありませんが、わたしたちが本当に心から「主の祈り」を祈っているのかどうか問いかけています。アフリカの貧しい人々が、先進国の豊かな人々が彼らを見殺しにしながら機械的に「主の祈り」を唱えているのを見たら、きっとこの文章のような問いを発するに違いありません。この四旬節あいだ、彼らの問いかけを真摯に受け止めた上で「主の祈り」を祈ってはどうかと思います。まずこの文章を読んだ後、続けて「主の祈り」を唱えてみてください。
 なお、この文章は作者不詳のまま、人々の口から口へと広がっていったものです。わたし自身は、先日アフリカのチャドで帰天した二條あかねさんから教えてもらいました。


もしあなたが神の子として生きていないならば、
「父よ」とは言わないでください。
もしあなたが自分のエゴイズムの中に閉じこもっているとすれば、
「私たちの」とは言わないでください。
もしあなたがこの地上のことばかり考えているとするなら、
「天におられる」とは言わないでください。
もしあなたが自分の栄光のこと、名誉のことしか考えないならば、
「あなたのみ名が尊ばれますように」とは言わないでください。
もしあなたが物質的な成功を考えているとすれば
「み国がきますように」とは言わないでください。
もしあなたが気に入ったことばかり受け入れているとすれば、
「み心が行われますように」とは言わないでください。
もしあなたが貧しい人々のパンのために働かないなら、
「私たちの今日の糧をお与えください」とは言わないでください。
もしあなたが兄弟姉妹に対する憎しみを味わっているとすれば、
「私たちの罪をお赦しください」とは言わないでください。
もしあなたが誘惑を体験するように身を置くとすれば、
「私たちを試みられないように」とは言わないでください。
もしあなたが善のためにコミットしないなら、
「私たちを悪から守ってください」とは言わないでください。
もしあなたが主の祈りのことばを真剣に受け取っていないなら、
決して「アーメン」とは言わないでください。

※写真の解説…ケニアスーダンの国境近くにある、カクマ難民キャンプにて。スーダンから避難してきた難民の子どもたち。