バイブル・エッセイ(53) 御変容

 このエッセイは、3月8日に行われた「子どものためのミサ」での説教に基づいています。
 六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。
 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。
 すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。(マルコ9:2-9)

 イエスが真っ白な輝きで包まれています。復活し、神の栄光に包まれたイエスの姿が、弟子たちの目の前に現れたのです。神様は、やがて十字架につけられて殺されるイエスが「神の子」であることをはっきりと示すために、イエスの本当の姿を弟子たちに見せました。このことを、難しい言葉では「復活の先取り」と言います。
 イエスの姿がなぜ変わったのかということを考えるためには、天国がどんなところかを知っておくといいでしょう。天国は、色と光があふれる輝きに満ちた世界だと言われています。天国では、すべてのものが本当の色で光り輝いています。すべてのものが神の栄光に満たされ、この世では見たことがないほど色鮮やかに輝いているのです。わたしたちが普段なにげなく見過ごしている道端のタンポポやレンゲも、天国ではわたしたちの心を揺さぶるほどの美しさで光輝いています。天国では、すべてのものがこの世界と違った姿で見えます。ですが、それこそ本当の姿なのです。天国から見た時には、この世界は「影の世界」です。わたしたちが地上で見ているものは、天国で見る本当の姿の影にすぎないのです。
 今日わたしたちに示されたイエスの姿は、きっと天国に挙げられたイエスの姿、「神の子」としての栄光に満たされた本当の姿なのだと思います。神様は、四旬節を過ごしているわたしたちを励ますために、イエスの本当の姿を示してくださったのです。
 教会学校のみんなが、一緒に神様のために歌を歌ったり、みんなで仲良く遊んだりしているのを見ていると、ときどきみんなの姿が輝いて見えることがあります。きっとそれは、今日の福音の中のイエスと同じように、みんなの本当の姿が現れたからでしょう。歌で神様を喜ばせたり、仲間を大切にしたりしているとき、みんなは天国としっかり結びついて「神様の子ども」の姿になっているのです。そんなとき、みんなは「復活の先取り」を生きているのです。天国の光を全身で受け、いつも「神様の子ども」として輝いていられたらいいですね。
※写真の解説…菜の花と梅。たつの市御津町「世界の梅公園」にて。