フォト・エッセイ(94) 菜の花②


 黄色く染まった畑全体に、喜びの力が満ち溢れていた。花々が、待ちにまった春の日差しを全身に浴びて喜びの歌を歌っているようだった。写真を撮っているうちに、心がしだいに高揚していくのを感じた。黄色には、人の心をかきたてる力があるようだ。こんな景色の中に入り込めば、どんな苦しみの中にいる人でもきっと元気になれるだろう。
 しばらく写真を撮ったところで、佐藤初女さんの言葉を思い出した。電車の中で彼女の本を読みながらここまで来たせいもあるだろう。彼女は、素材の一つひとつを慈しんで調理するという。慈しめば、素材もそれに応えて自分本来のよい味を出してくれるそうだ。このことは、写真を撮る場合にも当てはまるのではないだろうか。機械的に美しい景色を切り取っていくのではなく、景色が発しているメッセージをあるがままに受け入れ、景色を慈しむことが写真を撮る場合にも必要なように思う。
 わたしたちの身の回りにある景色の一つひとつは、神様からわたしたちへのメッセージだ。そのメッセージを受け止めたとき、わたしたちの心は神の存在に触れ、喜びと感謝で満たされる。喜びと感謝の中で景色を慈しみ、景色と一つになって写真を撮るとき、写真の中にも風景の持つ力が宿るように感じる。花々の喜びの力、生命の力が写真の中にも宿るのだ。そんな写真を見たとき、わたしたちの心は写真を通して「神の国」へといざなわれていく。一枚の写真が、「神の国」へのドアになるのだ。
 そんな写真が撮れたらいいなと思いつつ、さらに1時間ほど菜の花畑を歩き回り、写真を撮った。結局300枚以上撮ったが、この中に1枚でも「神の国」へのドアになるような写真があるだろうか。人々の苦しみを癒すような、喜びと力に満ちた写真を撮りたいものだ。







※写真の解説…神戸市総合運動公園の菜の花。