フォト・エッセイ(103) 中高生練成会② 巡礼


 中間期生のとき泰星学園で中高生に社会科を教えていたことがあるが、そのとき以来わたしは中高生に苦手意識がある。あの年代の若者たちとは、どうもコミュニケーションをとるのが難しい。まして今回の参加者は女の子が多かったし、正直どうなることかと思いながら練成会に参加した。
 だが、リーダーたちがとてもうまく子どもたちを指導してくれたおかげで、その心配は杞憂に終わった。最初の晩、みんなで自己紹介をしたりゲームをしたりしているうちに次第に打ち解けた雰囲気ができあがり、中高生たちが見る見るうちに一つの共同体として結ばれていくのが感じられた。わたしもその輪の中に入れてもらって、とても楽しい一時を過ごすことができた。
 今回の練成会の目的は、津和野の殉教者たちの信仰からわたしたちは何を引き継ぐことができるのか、現代に生きるわたしたちにとって殉教とはなんなのかということについてみんなで考えたり祈ったりすることだった。そのためにいくつものプログラムが用意されていたが、中でも一番印象的だったのは2日目に行われた巡礼だ。津和野の乙女峠を目指して、5時間かけて約20キロほどの道のりを歩いたのだ。歩いている間は完全に沈黙を保ち、途中の4ヵ所で津和野の殉教者たちの物語を読んで黙想した。
 驚いたのは、ふだん教会ではとても賑やかな中高生たちが、長い道のりを何の不平も言わずに黙々と静かに歩き通したことだ。じっと道の前方を見つめながら歩き続ける彼らの真剣なまなざしは、明らかにいつもと違った輝きを帯びていた。みんなと一緒だと、どんなに長い道でもなんとか歩きとおすことができるものだ。そう感じた子どももいたかもしれない。それは、おそらく殉教者たちが長崎から津和野まで歩く中で感じたことでもあるだろう。道端に咲く花たちも、わたしたちの歩みを励ましてくれた。
 最後の峠を越えて津和野に入り、乙女峠に到着したあと、歩いた感想を書き留める時間を設けた。みな思い思いの場所で静かに道のりを振り返り、熱心に何かを書き留めていたようだった。その真剣な姿を見て、わたしはますます感動を深めた。そろそろ、中高生に対する苦手意識を乗り越えるときが来ているのかもしれない。







※写真の解説…1枚目、峠から菜の花越しに見た津和野の街。2枚目、巡礼中の中高生たち。3枚目、途中でたまたま出会った阿東町の枝垂桜並木。4枚目、乙女峠のマリア聖堂。