やぎぃの日記(38) 聖香油のミサ


 昨日、大阪のカテドラルで聖香油のミサがあった。大阪大司教区では、司牧的な理由から聖香油のミサを聖木曜日の前日にしているそうだ。聖香油のミサは司祭職の制定を記念するミサでもあり、たくさんの司祭たちがミサに参加した。50人以上いただろうか。わたしもその中に紛れ込んでミサに参加させてもらった。
 たくさんの神父様方と一緒のミサということで、正直とても緊張した。皆さんベテランの神父様方ばかりだ。わたしとは風格も重みもまったく違う。池長大司教様に至っては、イエス・キリストのように神々しく輝いて見える。「わたしがこの中にまじっていていいのだろうか」と思わざるを得なかった。
 大司教様の説教の内容も考えさせられるものだった。司祭がいなければミサもゆるしの秘跡も成り立たないという、ある意味で当然のことを確認されたのだったが、それが心に響いた。信徒の方からそんなことを言われると、照れて「いや、これからは信徒の時代ですから」などと答えてしまうことが多いが、これはある意味で責任逃れだろう。司祭には司祭の固有の役割があり、それを責任をもって果たしていかなければならない。改めてそのことを感じた。厳粛な気持ちで司祭職更新の祈りを唱えざるをえなかった。
 ミサの後のパーティーで、何人かの神父様方が話しかけてくださった。皆さん聖なる雰囲気を漂わせた方ばかりで、わたしはますます小さくなった。彼らから「神父さん」などと話しかけられると、わたしはもうどう答えていいかわからない。食事も喉を通らなくなってしまう。一緒に行った神父様方が早く帰るというのをいいことに、わたしもそそくさとパーティー会場を抜け出してきた。叙階から半年くらいの新司祭は、みんなこんな気持ちを味わうのだろうか。
※写真の解説…京都・天竜寺の枝垂桜。