バイブル・エッセイ(63) 天上大風


 ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネ3:1-8)

 良寛さんの残した言葉に「天上大風」というのがあります。大風に乗って天まで上がれという願いを込めて凧に書いた言葉だそうですが、この言葉はのちに良寛さんの生涯を要約した言葉として使われるようになりました。良寛さんは、大きな風に吹かれて天高く舞い上がっていく凧のように自由な人だったというのです。
 ここでいう大きな風は、単に物理的な風のことだけを言っているのではないと思います。この地上を支配するわたしたちの理解を越えた大きな力、目に見えない何ものかの意志、それが風という言葉で表現されているのでしょう。良寛さんはその力に全身を委ねて凧のように高く高く天に舞い上がっていった、そういうことだと思います。
 この風を、キリスト教では聖霊と呼びます。聖霊の風に身を任せて自由に空高く舞い上がっていく人、その人こそが「霊によって新たに生まれた人」です。聖霊の風に身を委ねた人は、わたしたちを空高く「神の国」まで吹き上げていく風の力によって新しい人生を始めることができるのです。
 もしわたしたちがいつまでも地上のことにしがみついていたら、この風に乗ることはできません。物欲、名誉欲、権力欲、虚栄心、憎しみなどの地上的な思いを手放したときにだけ、わたしたちは風に乗って高く飛んでいくことができます。この世への執着を捨て、聖霊の風に乗って高く「神の国」にまで吹きあげられていく、そんな自由でさわやかな人生を生きたいものです。
※写真の解説…つつじの咲く六甲教会。