バイブル・エッセイ(72) 真理を貫く力


 そのときイエスは言われた。「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。
 これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」(ヨハネ15:26-16:4)

 弟子たちにとっての信仰の証し、それは殉教ということにほかなりませんでした。弟子たちの多くは、イエスに倣って神への愛を最後まで貫き、自分の命さえも神のために捨てることでイエスが神の子だったこと、イエスの教えが真実だったことを証したのです。
 人間的な弱さをたくさん抱えた弟子たちに、なぜそんなことができたのでしょう。それは彼らの心に「真理の霊」が来られたからだと思います。「真理の霊」は、人間的な思いを乗り越えて真理を貫く力をわたしたちに与えてくださる方なのです。イエスと寝食を共にし、旅を続ける中で、弟子たちの心には愛に満ちたイエスの姿がしっかりと刻み込まれていました。その姿を思い出したとき、その姿を通して「真理の霊」が弟子たちの心にやってきたのです。
 わたしたちにとって唯一の真理、それはイエス・キリストでしょう。わたしたちにとって真理を貫くとは、イエスの教えに従って神を、そしてわたしたちが出会うすべての人々を愛するということに他なりません。それは、キリスト教を学んだことがある人ならば誰でも知っているはずのことです。ですが、残念ながら実際にこの真理を貫くことがどれだけ難しいかをわたしたちは日々体験しています。わたしたちは、真理を知っていながらそれを実践することができないのです。
 困難に直面したとき、わたしたちを愛して下さったイエスの姿を少しでも思いだすことができるならば、その姿を通してわたしたちの心にもきっと「真理の霊」が来て下さるでしょう。そして、自分の弱さを乗り越え、真理を貫く力を与えてくださるでしょう。イエスと共に過ごす時間の中で、イエスの姿をしっかりと心に刻みつけていきたいものです。
※写真の解説…芦屋市、高座の滝。