バイブル・エッセイ(74) すべてを照らす光


 「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」(ヨハネ16:12-15)
 これから起こる迫害や受難についてイエスが語り始めたとき、弟子たちはその意味を理解することができませんでした。なぜこんなにいい人が苦しみを受けなければならないのか、その人に従う自分たちが迫害されなければならないのか、弟子たちにはまったくわからなかったのです。
 弟子たちがその意味を理解し、殉教によってイエスの栄光を証することができるようになったのは、「真理の霊」である聖霊が来られてからのことでした。イエスの十字架から輝き出た愛の光、復活の光がこの世の思いに閉ざされた弟子たちの心を照らしたとき、弟子たちの目ににすべてのことが明らかになったのです。
 わたしたちも日々の生活の中で、不条理な出来事によって傷つけられたり、言われのない中傷をされたりしたときに、その意味が分からずに苦しむことがあると思います。そんなとき、イエスの十字架を思い出したいものです。十字架はわたしたちに、誠実に神を求めた結果としての苦しみがどのように報われるかを教えてくれます。それは地上的な意味の報いではなく、わたしたちの損得勘定を完全に越えた報い、「神の国」の栄光です。
 苦しい時、困難な時こそ、自分の思いに振り回されるのをやめて目をただ十字架だけに向けたいものです。そのとき神は、人間の理解をはるかに越えた聖なる光でわたしたちを包み込み、その苦しみの意味を悟らせて下さるでしょう。
※写真の解説…木漏れ日を浴びたメタセコイアの葉。