やぎぃの日記(44) 裁判員制度?


 今日、毎月行っている「ともに考える会」の特別会として、六甲教会信徒で元日本弁護士連合会副会長の赤木文生弁護士をお招きして裁判員制度についてのお話しを聞いた。
 法学部卒業生として裁判員制度には以前から興味があったし、赤木先生とは以前からたびたびお会いしていて非常に深い信仰をもった人格者だという印象を受けていたので、一度ゆっくりお話しをうかがいたいとも思っていた。いろいろな意味でとてもいい機会だったと思う。
 この会に備えて何冊か裁判員制度についての本を読んで勉強していたが、赤木先生の話を聞いてこの制度に対する疑問がますます深まってしまった。国民と司法の距離を縮め、司法を他人任せにしない意識を国民に養うという立法の趣旨は非常にもっともだと思うが、やり方をもっと考えるべきではなかっただろうか。これで、日弁連が期待しているような誤判の防止や調書裁判の弊害の是正を実現できるとはどうにも思えない。
 裁判員を加えない公判前整理手続きでもう裁判の行方はほとんど決まってしまうのではないか。裁判員の参加は単に裁判官の判断を正当化するための口実なのではないか。死刑を含む重大犯罪の量刑に素人が当たるというのは、あまりにも荷が重いのではないか。多くの反対論者が指摘しているように、すべての重大犯罪の被告人に一律に裁判員裁判を行うこの制度は、被告人の正当な裁判を受ける権利を奪うのではないか。などなど、数え上げたら切りがないほどの疑問がある。
 人を裁くというようなことはすっかり他人に任せて、自分は犯罪者などとは関わりなく生きていきたいというのは、あまりに虫のいい話でとうてい賛成できない。誰も好きで人を裁いて刑に処している人などいないはずで、社会の安全と平和のためを思えばこそつらい思いをこらえながら裁きの座についているのだろう。死刑を執行している刑務官たちなどは、もっとそうだろうと思う。彼らに給料を払っているわたしたちが、死刑についての責任はない、わたしたちは何も手を汚していないとは言えないはずだ。そのことをより直接的に体感するために、一般の国民が裁判に関わるのはとてもいいことだと思う。
 「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」の付則に次の条文がある。
 第九条  政府は、この法律の施行後三年を経過した場合において、この法律の施行の状況について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて、裁判員の参加する刑事裁判の制度が我が国の司法制度の基盤としての役割を十全に果たすことができるよう、所要の措置を講ずるものとする。
  つまり、とりあえず3年間やってみて、不都合が出てくれば法律に手直しを加えるということだ。試行錯誤を経ながら制度が改善され、誰もが納得のいく形で裁判への国民の参加が実現していけばいいのだが。
※写真の解説…高山植物園ロックガーデンにて。