バイブル・エッセイ(89)剣をもたらすために


「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
(マタイ10:34-39)
 「家族の者が敵になる」、「自分の命を得ようとするものはそれを失う」、これはとても厳しい言葉です。なぜイエスはこんなことを言うのでしょう。
 もちろん家族と仲良くするに越したことはありませんし、家族を思う気持ちは大切でしょう。ですが、家族への思いも神様への愛によって正しく方向づけられていないならば危険です。家族のことだけを思って行動するなら、わたしたちは不完全な人間の思いによって行動することになるからです。「家族のため」と言いながら、そもそもわたしたちは家族にとって何が一番良いことなのかさえよく知らないのです。
 このことは、自分自身についても言えます。自分を大切にするのはよいことですが、神様よりも自分を大切にすることがあってはならないのです。どれほど自分を大切にしたいと思っても、不完全な自分の思いに従って自分を大切にしていけば、神様の思いから遠く離れてしまうかもしれません。それでは、結局自分を不幸にするだけです。
 そこでイエスは、家族の情愛にも自己愛にも勝って神様への愛を優先するようにとおっしゃいます。神様への愛を最優先するならば、神様は家族にとって、また自分にとって何が一番大切なのかを教え、わたしたちを導いてくださるからです。
 エスの言葉は、執着を断ち切るための剣です。イエスは乱れたわたしたちの心を、この剣で整えてくださいます。イエス様の言葉に従って何よりもまず神様への愛を第一に考え、神様の思いに従って家族も自分も大切にしていくことができればと思います。
※写真の解説…森林植物園にて。