フォト・エッセイ(135)神宿る森③


半日かけてゆっくりと外宮を歩いているうちに、森の空気で心身ともに洗い清められたような気がした。そのまま、すがすがしい気持ちでバスに乗り内宮に向かった。外宮にお参りしてから内宮という参拝順路には、それなりの理由があるようだ。もっとも偉大な神秘に直面するには、まず森の空気で心と体を洗い清めてからということだろう。
 五十鈴川にかかる橋を渡って内宮に入ると、すぐに川のほとりに出た。この川の水で体を清めてから、いよいよ最高神天照大御神が祭られた本殿に向かうということらしい。空気と水に心身を洗われ、参拝者たちはまっさらになって神の前に出ることになる。しばらく五十鈴川のほとりにたたずんだ後、わたしもまっさらな心持で本殿に向かった。
 巨大な樹木に覆われた坂道を登って、ついに正殿の前にたどり着いた。天皇家の祖先とされ、日本のすべての神の主とされる天照大御神の社だ。日本で最も神聖な場所と言っていいだろう。他の参拝客たちと一緒にその社と向かい合って手を合わせたとき、全身が社の中に吸い込まれていくような気がした。ミサの中で祭壇に向かったときと似たような感覚だ。「ここにも確かにイエスがおられる」、わたしは直感的にそう感じた。
 心身を清めて神の前に立ち、自分の最も大切なものを神に捧げる、そこに日本人の神との関わり方の原点があるようだ。日本人は本来、神の前で謙虚になることからすべてを始める民なのだ。「伊勢は日本人の心のふるさと」と書かれたポスターが街のあちこちに張られていたが、本当にそうであってほしいと思う。







※写真の解説…1枚目、五十鈴川に架かる橋。2枚目、五十鈴川。3枚目、杉の巨木。4枚目、楠木の巨木。