半日かけてゆっくりと外宮を歩いているうちに、森の空気で心身ともに洗い清められたような気がした。そのまま、すがすがしい気持ちでバスに乗り内宮に向かった。外宮にお参りしてから内宮という参拝順路には、それなりの理由があるようだ。もっとも偉大な神秘に直面するには、まず森の空気で心と体を洗い清めてからということだろう。
五十鈴川にかかる橋を渡って内宮に入ると、すぐに川のほとりに出た。この川の水で体を清めてから、いよいよ最高神、天照大御神が祭られた本殿に向かうということらしい。空気と水に心身を洗われ、参拝者たちはまっさらになって神の前に出ることになる。しばらく五十鈴川のほとりにたたずんだ後、わたしもまっさらな心持で本殿に向かった。
巨大な樹木に覆われた坂道を登って、ついに正殿の前にたどり着いた。天皇家の祖先とされ、日本のすべての神の主とされる天照大御神の社だ。日本で最も神聖な場所と言っていいだろう。他の参拝客たちと一緒にその社と向かい合って手を合わせたとき、全身が社の中に吸い込まれていくような気がした。ミサの中で祭壇に向かったときと似たような感覚だ。「ここにも確かにイエスがおられる」、わたしは直感的にそう感じた。
心身を清めて神の前に立ち、自分の最も大切なものを神に捧げる、そこに日本人の神との関わり方の原点があるようだ。日本人は本来、神の前で謙虚になることからすべてを始める民なのだ。「伊勢は日本人の心のふるさと」と書かれたポスターが街のあちこちに張られていたが、本当にそうであってほしいと思う。
・
・
・
・
※写真の解説…1枚目、五十鈴川に架かる橋。2枚目、五十鈴川。3枚目、杉の巨木。4枚目、楠木の巨木。