「原理と基礎〜今ここで、神の愛を感じる」
7月24日に六甲教会で行われた「祈りの道場」のレジュメです。参加した方は振り返りのために、参加できなかった方は日々の祈りの参考として、どうぞお役立てください。1日に1項目、1時間を使って祈っていくといいと思います。
★「原理と基礎」とは?
霊操を進めていく上で基本になる心の在り方。次の3点に要約される。
①わたしたち人間は神を愛するためだけに創造された、
②その目的を達成するために人間に被造物が与えられた、
③それゆえ、いかなる被造物にも執着せず、神への愛をすべてに優先する。
⇒「原理と基礎」は、交響曲のライトモチーフのようなものです。霊操の至る所で奏でられます。これがしっかりしていないと、霊操という曲全体が崩れます。「原理と基礎」は、あるいは建物の土台のようなものです。これが傾いていると、その上に立てられる建物全体が傾いてしまいます。
⇒頭で納得するだけでは不十分です。全身で神の愛と出会い、魂が奥底から揺さぶられたとき、わたしたちは初めて「原理と基礎」を身につけることができます。
1.「人間が造られたのは、主なる神を賛美し、敬い、仕えるためであり、こうすることによって自分の霊魂を救うためである。」
・神は今ここで、この瞬間にもわたしたちを創造している。その恵みをかみしめ、神に感謝することが祈りの始まり。
⇒創造は、遠い昔に起こったことではありません。わたしたちは、今この瞬間にも神の霊によって新たに生まれ続けています。古い自分に囚われる必要はなにもありません。今、ここで神が溢れるほどに注いでくださる恵みを感じましょう。
・わたしたちの魂は、神の愛を全身で感じ、その愛の中に憩うときにだけ真の安らぎをえる。
⇒アウグスティヌスは『告白』の冒頭で、「わたしたちは神の愛の中に安らぐまで真に安らぐことがない」と述べています。人間は、富や名誉、評判、健康、快楽などだけでは決して満たされない存在です。
・いつも神の存在を感じ、神から与えられる恵みに感謝する。感謝から賛美と敬意、奉仕が生まれる。
⇒今この瞬間にも、わたしたちの心の底から新しい命が湧きだしています。その命の流れを感じ、いつも神に感謝しましょう。心からの感謝は、神への賛美、敬意、奉仕を生みます。
⇒いつも神の存在を感じているということは、どんなときでも神のことだけを考えているということではありません。それは、現実的に不可能です。そうではなく、神の恵みをいつも身体のどこかで感じていられれば十分でしょう。子どもは、いつも母親の方を見ているわけではありませんが、自分の近くに母親がいるということを感じている限り安心して喜んで遊び続けます。同じように、わたしたちも生活の中で神の存在をいつも身近に感じていたいものです。そこから感謝が生まれます。
《聖書箇所》
・御言葉の味わい方…聖霊に心を開き、今、この場でわたしたちのために語られた言葉として味わう。印刷された一つ一つの渇いた文字に今ここで命の霊が注がれ、今ここで神の御言葉が生まれる。あらゆる先入観を捨て、生まれて初めてこの箇所を読むような気持で読むことが大切。
①ヨハネ7:37-39…わたしたちは、内から湧きあがる命の水に生かされている。
②エフェソ1:3-6…キリストにおいて祝福に満たされ、神を讃える。
2.「また、地上の他のものが造られたのは、人間のためであり、人間が造られた目的を達成する上で人間の助けになるためである。」
・今この瞬間も、神はわたしたちのために地上の全てのものを創造してくださっている。何一つとして、当たり前に存在するものはない。すべてのものは、今ここで生まれる。
⇒わたしたちだけでなく、わたしたちを取り巻く世界も今この瞬間、わたしたちのために創造されています。何一つ昨日と同じものはありません。そのような目で見たとき、この世界は驚きに満ちています。
⇒普段見落としてしまうような風景の細部からも、神はわたしたちに力強く呼びかけています。必要なのは、それに気づく心です。赤ん坊が初めて世界を見たときのような気持で世界を見ましょう。
・すべてのものを神様からの贈り物として感謝する。
⇒世界は、全体が神様からわたしたちへの贈り物です。わたしたち一人ひとりのために、今この瞬間も世界が創造され続けているのです。
・神は、わたしたちが救われるために必要なものをすべて準備し、与えてくださる。
⇒父なる神は、わたしたちにとって本当に必要なものが何かを御存知です。わたしたちが知らない、わたしたちに本当に必要なものさえ与えてくださいます。それはわたしたちにとって、まったく思いがけないようなものです。
⇒映画監督の宮崎駿が次のように言っています。「感動するために必要なものは、すべて半径3m以内にある。」これは本当だと思います。わたしたちの心を奥深くから揺さぶり、生きる力を与え、神への感謝を湧きあがらせるような感動は、いつでもわたしたちのすぐ近くに準備されています。
《聖書箇所》
①ルカ12:22-32…わたしたちに必要なものを与えてくださる神。
②Ⅰテサロニケ5:16-18…すべては神の恵み。
3.「したがって人間は、そのものが自分の目的に助けとなる限り、それを使用すべきであり、妨げとなる限り、それから離れるべきである。であるから、私たちの自由意思に任せられ、禁じられていないものであれば、すべての被造物に対して偏らない心を育てなければならない。」
・本当に必要なのは、神を賛美し、敬い、自分を差し出すために必要なものだけ。自分を賛美し、敬い、自分を大きくするためのものではない。
⇒神を賛美するとは、神に自分のすべてを差し出すということです。被造物に執着し、富、権力、評判などを手元に置いて、自分を大きくしていくことではありません。すべてを手放したとき、最高の賛美が実現します。
・被造物を自分のものとし、神ではなく被造物とそれを持っている自分に頼ってはならない。自分を神にしてはならない。
⇒神から何かを与えられると、わたしたちは自分に力があるかのような錯覚に陥ります。それゆえ聖イグナチオは、何かを所有することが罪への第一歩だと言います。所有は人間を傲慢へと誘惑し、傲慢は神への背きを生むからです。わたしたちが真に頼るべき存在は神であって、自分ではないことを深く心に刻みましょう。
・わたしの持っているものは、キリストとわたしを結びつけるだろうか、遠ざけるだろうか。
⇒そのような目で、今自分が持っているものを一つひとつ振り返ってみましょう。単に物質的な所有に限らず、能力、名誉、健康、家族の絆、学歴なども、ときにわたしたちを迷わせます。
《聖書箇所》
①ヨハネ15:1-10…キリストはぶどうの木。キリストから離れるならば枯れる。
②ルカ12:15-21…自分のために富を積まず、神の前で豊かになる。
4.「従って、私たちの方からは、病気よりも健康を、貧しさよりも富を、不名誉よりも名誉を、短命よりも長寿などを欲することなく、ただわたしたちが造られた目的へよりよく導いてくれるものだけを望み、選ぶべきである。」
・今ここで神に心を開き、ただ神を賛美し、敬い、神に奉仕するために必要なものだけを望み、選ぶ。
⇒自分の利益になるものではなく、わたしたちの存在自体がただ神の賛美となっていくために必要なものだけを選びましょう。
・この世の価値観に従うのではなく、神の御旨だけに従う。「神が与えてくださるものは何でも笑顔で受け取り、取り去られるものは何でも笑顔で差し出しなさい。」(マザー・テレサ)
⇒この世の価値観に従えば、病気よりも健康が、貧しさよりも富が、不名誉よりも名誉が、短命よりも長寿がいいに決まっています。しかし、わたしたちの基準はこの世界の基準とまったく違います。わたしたちは、神が望むことだけを望むのです。何のための健康か、何のための富か、何のための名誉か、なんのための命か、改めて考えてみましょう。
・頼りにしていた大切なものを取り去られる苦しみの中で、わたしたちは神と出会う。「わたしが頼るべきものは神以外にない」と確信し、すべてを神に委ねた平安。そこに救いがある。
⇒イエスは、十字架上で神から与えられたものをすべて神に返したとき、神の愛で完全に満たされました。キリスト教的な救いの唯一の原理がここにあります。すべてを手放し、すべてを神に委ねたとき、わたしたちは救われるのです。十字架上で死んだとき、復活の命に満たされるのです。
《聖書箇所》
①フィリピ3:1-11…キリストを愛する以上の喜びはない。
②詩篇139…神はわたしたちを知りぬいておられる。神と結ばれていれば、闇でさえ光と変わらない。