カルカッタ報告(5)8月25日Sr.ガートルード


 ホテルに戻って朝食をとり、9時半ころ今回の体験学習の参加者全員でマザー・ハウスを訪ねた。なかなか全員そろわず、予定より30分ほど出発が遅れたが、今朝2時半にホテルに着いたことを考えれば仕方がないだろう。
 マザー・ハウスに着き、玄関番のシスターに挨拶すると「日本から来た神父さんですね。シスターが待っています」と言われ、すぐに2階に案内された。2階の事務室まで着くとシスター・クリスティーが出てきた。「少し遅かったですね。シスター・ガートルードが1時間も前からそこで、ああして待っていますよ」と言いながら彼女が指さす方向を見ると、聖堂の前の廊下で一人の年老いたシスターが椅子に腰かけ歩行器具にもたれかかりながら祈っているのが見えた。14年分歳をとってはいるが、まぎれもなくシスター・ガートルードだった。
 シスター・ガートルード。彼女は、1948年にマザーがロレット修道会の修道院を離れて生活し始めたとき、マザーを慕って一緒に生活を始めた女性たちの1人だ。シスター・ガートルードの前にシスター・アグネスが到着していたので、彼女はマザーが得た2人目のシスターということになる。1997年にマザーが帰天したときにも、彼女はマザーのすぐそばに寄り添っていた。現在は81歳。歩行に支障が出てきたが、まだまだ元気で後輩のシスターたちの指導に当たっているとのことだ。
 彼女は14年前、マザー・ハウスでマザーの補佐をしていた。わたしをかわいがってくれていたもう一人のシスターの親友だったこともあり、たびたび話したことがある。最後に会ったのは、マザーが帰天する直前の1997年5月、ローマでのことだった。ローマの「神の愛の宣教者会」の修道院にのこのこ入って来たわたしを見つけるや、驚きの声を発してすぐに家の中に入り、マザーを呼んできてくれたのが彼女だ。マザーがいるあいだ、ローマの修道院に自由に出入りするのを許可してくれたのも彼女だ。
 わたしたちの話し声に気づいたシスター・ガートルードが、歩行器具を使ってゆっくりとこちらに歩いてきた。こちらから近づこうとするわたしを手で制しながら、わたしのそばまで来ると「ああ、ポール」と言いながらわたしの手をとり、手のひらに口づけしてくれた。シスター・プリシラもわたしの手のひらに口づけしてくれたが、新司祭の手のひらに口づけするというのはカトリック教会の伝統的な信心業の一つだ。
 (注・ポールはわたしの洗礼名パウロの英語読み。14年前、彼女たちはわたしのことをポールと呼んでいた。)
 顔を上げたシスター・ガートルードは「よく覚えていますよ。あのときのポールが神父になって戻ってくるなんて。マザーがどんなに喜んでいるか」と言ってくれた。わたしは彼女がわたしを覚えていてくれた驚きと喜びで胸が一杯になり、彼女の手を握りながらただ「ありがとう、シスター」と繰り返すだけだった。
 話しはすぐに、シスター・マーガレット・メリーのことに移った。わたしをとてもかわいがってくれていたシスターだ。「マーガレット・メリーがあなたのことをいつも話していました。間に合わなくて残念です」と悲しそうに言うシスター・ガートルードに、わたしは「必ず墓参りに行きます」と答えた。実際、シスター・マーガレット・メリーの墓参りをするのはわたしにとって今回の旅の大きな目的の一つだ。
 そのまましばらく、昔のことや近況などを話した。「最近はアフリカでの活動が盛んになっています。ナイロビの近くに30ものセンターができました。わたしももう少し若ければ行くのに」とさびしそうに言う彼女の姿がとても印象に残った。老いてなお、宣教者魂は健在のようだ。
 別れ際に、「これを持って行きなさい」と言って手作りの祈りのカードをくれた。昔も、彼女から祈りの本を数冊もらった覚えがある。今も大切にしまっているが、日本に帰ったらこのカードもそれと一緒にして大切にとっておくことにしよう。シスター・ガートルードのなによりの思い出になる。
※写真の解説…マザー・ハウス中庭のマリア像。