カルカッタ報告(7)8月25日マザーの部屋


 マザーのお墓の隣にある小さな部屋がマザーの資料室になっているというので、入ってみた。マザーの履いていたサンダルや、食事に使っていた食器、身に着けていたロザリオなどが展示されていて、とても懐かしい感じがした。それらの遺品のほかには、マザーの生涯をたどるパネルなどがたくさん展示してあった。ゆっくり見ていったら数時間はかかるだろう。今日は、お昼までにマザーゆかりの場所を他に何箇所か回りたかったので、またあとでゆっくり見ることにして表に出た。
 資料室を出ると、中庭を挟んで向かい側に2階へ通じる階段がある。マザーの私室だった部屋に通じる階段だ。14年前はもちろん入ることなどできなかったが、今はマザーの私室も一般に公開されている。1階の台所から上がってくる熱気をまともに受けるうえに、隣には共同トイレがあるという悪条件におかれた部屋で、他のシスターには使わせられないという理由からマザーはこの部屋を選んだそうだ。部屋の中には金属のフレームに薄いマットレスを載せただけの簡素なベッドと、それほど大きくない机、書類を整理するための棚だけが置かれていた。エアコンはもちろん、扇風機さえない。
 マザーは、1997年9月5日の晩、この部屋で帰天した。そのとき、マザーの傍らにはSr.ガートルードを初め数人のシスターが付き添っていたという。呼吸困難の苦しみの中で、マザーは壁に掛けられた茨の冠に手を伸ばしたとシスターからもらった手紙に書いてあったが、その冠も当時と同じように壁に掛けられていた。最後の言葉は「イエスよ、あなたを信じています。あなたを愛しています」という祈りの言葉だったそうだ。
 マザーの私室の前でしばらく祈った後、マザー・ハウスをあとにして「シシュ・ババン」(子どもたちの家)と呼ばれる施設に向かった。そこで、昔懐かしいシスターが今も働いているとSr.クリスティーから聞いたからだ。
※写真の解説…マザー・ハウスの入口から大通りへ通じる小路。