カルカッタ報告(8)8月25日Sr.アンドレア


 「シシュ・ババン」は、マザー・ハウスからA.J.C.ボースロード沿いにシアルダーの方に向かって5分ほど歩いたところにある。鉄の門をくぐって出会ったシスターに来意を告げると、そのシスターは2階にいるとのことだった。応接室でしばらく待っていると、階段を下って懐かしいその人が姿を現した。Sr.アンドレアだ。14年前すでに初老のシスターだったが、今はもうすっかりおばあさんになっていた。いつも背筋がピシッと伸びた姿が印象的なドイツ人のシスターだたが、今もそれは変わっていなかった。14年前、結核にかかったとき、医師である彼女にとてもお世話になった。
 結核の診断を受けたとき、わたしを専門医のところに連れて行ってくれたのは彼女だし、カルカッタでなんとか治療しようとさまざまな努力をしてくれたのも彼女だ。あるときは、体調を崩していたSr.アグネスと一緒にわたしを病院に連れて行ってくれたこともある。Sr.アグネスは、マザーのもとに最初にやってきたシスターだ。そのとき、Sr.アグネスは肺に影があるという診断を受けた。後に、それは癌の転移であることが判明した。治療の甲斐なく、Sr.アグネスは1997年4月、マザーより先に帰天することになった。彼女の最後の様子は、帰天の翌月頃にSr.アンドレアが手紙で詳しく教えてくれた。「シシュ・ババン」は、わたしを一番かわいがってくれていたSr.マーガレット・メリーが最晩年を過ごした場所でもある。
 階段から下りてきたとき、最初Sr.アンドレアはわたしが誰だかわからないようだった。だが、すぐに思い出して「ああ、ポール」と言ってわたしの手を握りしめた。なにしろ14年ぶりなのだから無理もない。
 彼女にまず聞きたかったのは、Sr.マーガレット・メリーの最後の様子だ。最後、彼女はどんな様子だったのかとわたしが尋ねるとSr.アンドレアは残念そうに「最後はとても苦しみました。でも死に顔はとても安らかでしたよ」と教えてくれた。「シシュ・ババン」で過ごしていた晩年、何度もわたしのことをうれしそうに話していたそうだ。早いうちに彼女の墓参りに行きたいというと、Sr.アンドレアは「それなら明日、午後3時にここに来なさい。車を用意しておきましょう」と言ってくれた。本当にありがたいことだ。
※写真の解説…A.J.C.ボースロード。