カルカッタ報告(13)8月25日モティジル①


 ロレットの正門を出て左に曲がると、すぐにモティジルに出る。モティジルは、映画『シティ・オブ・ジョイ』の舞台となったスラム街アーナンドナガルなどと並んぶカルカッタでも有数の規模のスラム街だ。マザーの伝記などでよく学校の隣にあったスラム街として紹介されるが、ロレットとモティジルを隔てているのは本当に壁1枚でしかない。
 驚くべきことだが、マザーの伝記作者として有名なイエズス会員ル・ジョリ神父によれば、マザーはスラム街に入ろうと決意したものの行き方がわからなかったという。そこで、学校のチャプレンをしていた司祭に道を尋ねに行ったそうだ。世間から完全に切り離された当時の修道院生活を思えば、まったくありえない話でもないだろう。
 わたしは昔の記憶をたよりに道を進んでいった。モティジルに突き当ったら、また左に曲がってロレットの壁沿いにまっすぐ進んて行く。もし昔のままだとすれば、100mほど先の右手に共用の井戸があるはずだ。まだあるかどうかやや不安に思いながら歩いて行くと、幸運なことに昔のままの井戸が現れた。井戸の手前の道を右に曲がって進んでいけば、マザーが初めて青空教室を開いた広場に出ることができる。
 この道は、15年前に何度も歩いたことがある。わたしは当時も、新しく来たボランティアたちのために今回と同じようなマザーの足跡を巡る半日ツアーをたびたびしていたからだ。最初はシスターからだいたいの場所を聞いて出かけた。細い道が入り組んだスラム街の中でわたしは当然のように迷子になったのだが、スラム街の人たちに「マザー・テレサマザー・テレサ」というと親切な人がわたしの行きたい場所を理解してくれ、案内してくれた。さきほど訪ねたゴメス家も、最初見つけるまでは大変だった。初めからこんなツアーガイドができたわけではないのだ。
 道を進んでいくと、人力車置き場が現れた。まったく昔と同じだ。ここは、15年前から人力車置き場で、当時もたくさんの人力車が並べられていた。農村部からカルカッタに出稼ぎに来た人たちは、ここで人力車の元締めから人力車を借りて働くのだ。当然、稼ぎの半分くらいは元締めに納めることになる。人力車引きの世界がどのようなものかは、映画『シティ・オブ・ジョイ』の原作になったドミニク・ラピエールの小説『歓喜の街カルカッタ』に克明に描かれている。体以外になんの資本ももたない彼らは、元締めたちに搾取されながらも生きるためにただ黙々と人力車を引き続けるのだ。
※写真の解説…モティジルの路上にて。