カルカッタ報告(14)8月25日モティジル②


 人力車置き場を通り過ぎたあたりで、ついに雨が降り始めた。わたしたちがやむを得ず木の下で雨宿りしていると、やはり向かい側の家の軒下で雨宿りしていた30代くらいの男性がこちらに来いと手招きしてくれた。スラム街の人々が親切なのは、昔も今も変わりがないようだ。彼の好意に甘えて、わたしたちはそのあまり広くはない軒下に入れてもらうことにした。
 軒下には、わたしたち以外にも数人が雨宿りしていた。その中の1人の老人が、わたしにベンガル語と思われる言葉で話しかけてくれたが、残念ながらまったく意味がわからない。しばらく一方的に話した後、彼はようやくわたしがインド人ではないと気づいたようだった。
 手持無沙汰に雨を眺めていると、斜め向かいにある小さな学校から、子どもたちが出てきた。傘もささず、上半身裸で走りだしてきた子どももいる。雨が降っているのがうれしくてしかたがないようだ。その中の何人かが、わたしたちの姿を見て近づいてきた。外国人を見て興味を持ったのだろう。わたしがカメラを構えると、うれしそうに笑った。まったく屈託のない笑顔だ。
 そうやって時間をつぶしているうちに、雨がやや小ぶりになった。さきほど話しかけてきた老人がわたしに、身振りでもうすぐ雨がやむと教えてくれた。それから5分ほどで雨は確かにぴたりと止んだ。老人や、わたしたちを手招きしてくれた男性に礼をいいながら、わたしたちはまた歩き始めた。
 間もなく、左手に大きな広場が見えてきた。広場の奥の方には、わたしたちが今から行く「神の愛の宣教者会」の学校の壁も見えている。今から51年前、マザーはこの広場で子どもたちのために青空教室を始めることから「神の愛の宣教者」としての第一歩を踏み出した。今では、マザーが最初に教えた広場の一角を「神の愛の宣教者会」が買い取り、スラム街の子どもたちのための小さな学校を運営している。
 1度、広場の横を通りすぎ、左に曲がると学校の入口に出るはずだった。だが、100mくらい行ったところで、道がわからなくなってしまった。仕方なく通りがかりのサリーを来た女性に「マザー・テレサ」と言うと、ついてこいという身振りをした。昔と同じだ。来た道をしばらく戻ったところで、彼女がこの道だと指さす細い道を進んでいくと、ようやく学校の入口に出た。さきほどの雨で、入口の前に大きな水たまりができていたので、わたしたちはそれをなんとかよけながら入口に近づいた。
※写真の解説…モティジルの路上にて。