カルカッタ報告(16)8月25日マザーの墓前でのミサ


ホテルに着くと、もう時計は1時を大きくまわっていた。あまり時間がない。急いで食事をし、とりあえずわたしだけ先にマザー・ハウスに向かうことにした。
 マザー・ハウスでは、シスターたちがミサの準備をして待っていてくれた。シスターたちに事情を説明して、10分ほど開始を遅らせてもらうことにした。シスター・クリスティーの呼びかけで、日本人のボランティアの人たちも10人ほど集まっていた。五十嵐さんも来てくれた。シスター・クリスティーも事務所の仕事を中断してミサに参加してくれるとのことだった。
 ようやくわたしたちのグループのメンバーが到着し、いよいよマザーの墓の前でのミサが始まった。祭壇から見て左手にマザーの墓石が置かれている。墓石の重厚な存在感の向こう側に、はっきりとマザーの存在が感じられた。これからわたしたちは、マザーとともにミサを捧げるのだ。
 説教では、イエスと出会った弟子たちの体験とわたし自身のマザーとの出会いの体験を重ね合わせながら、マザーに導かれながら歩んできたこの14年間の思いを話した。話しているうちに感極まってしまい、思わず涙があふれてきた。マザーとの出会いがなければ、マザーがわたしを呼ばなければ、今こうしてここに司祭として立っていることなどありえなかったのだ。
 奉献文を唱えているあいだも、マザーが聖堂の隅でひざまずいているような気がしてならなかった。御聖体を手に取ったとき、手の中にあるのはわたしたちのために捧げられたキリストの愛であると同時に、マザーの愛でもあるように感じた。御聖体にはイエスのわたしたちへの愛が一杯に詰まっているが、その愛は同時にマザーがわたしたちに与えてくれた愛でもあるのだ。マザーはその生涯を通していつもイエスと一つになり、イエスの愛をあふれるほどわたしたちに注いでくれた。そして、姿が見えなくなった今もまだ生きていて、わたしたちにイエスの愛を豊かに伝えてくれている。御聖体を高く天に捧げながら、そのことを強く感じた。
 ミサが終わったとき、わたしはすっかり疲れ果てていた。朝からずっと動き回っていたせいもあるが、ついにマザーとの約束を果たしたという安心感が疲れを呼んだようでもあった。ほっとして着替えているわたしのところに、聖堂係のシスターが大きなノートを持ってきた。ここにサインしてくださいとのことだった。シスターたちは、マザーの墓の前でミサを立てた司祭全員の署名を集めているようだ。署名欄の前に書かれた番号を見ると、296とあった。わたしはマザーの墓前でミサを立てた296番目の司祭なのかもしれない。

※写真の解説…1枚目、ミサの様子。2枚目、ノートに署名しているところ。ともに撮影・川崎理砂さん。