カルカッタ報告(25)ボランティア・ミーティング


 ヘンリー師と別れて、ボランティアの部屋に向かった。そこで、ボランティアのミーティングがあると聞いたからだ。マザーの資料室を通り過ぎてさらに進み、階段を下りるとその部屋があった。ボランティアたちの話し声が外までよく聞こえていたので、迷わずに行くことができた。昔ここはガレージだったはずだが、その場所に割と大きなスペースが付け足されてボランティアの部屋として使われているのだ。
 わたしがボランティアをしていた15年前は、マザー・ハウスの入口を入ってすぐのところにある小さな応接室がボランティアたちに開放されていただけで、特にボランティアの部屋というものはなかった。そこでシスターたちが準備してくれる小さな食パンとバナナ、チャイの朝食をとって、皆それぞれのボランティア先に出かけて行ったものだ。係のシスターがときどき顔を出す程度で、特にミーティングというようなものはなかった。
 部屋の中は人でごったがえしていた。おそらく70〜80人はいるだろう。英語、ドイツ語、スペイン語、フランス語、韓国語、日本語などの会話があちこちで飛び交っている。わたしは、すでに日本人の仲間を見つけて楽しそうに話している六甲教会のメンバーを見つけて近づいた。今日から、わたしたちはボランティアとして働くことになっているのだ。30代の女性2人は親のいない乳幼児のための施設「シシュ・ババン」へ、20代の男性と40代の女性、60代の男性の3人は障害児のための施設「ダヤ・ダン」へ、わたしは「死を待つ人の家」へ行くことが決まっていた。
 通常、ボランティアをする場合、朝ボランティアの部屋に来てボランティア係のシスターと会い、彼女からボランティアの仮登録証をもらってから施設に出かけることになる。そのあと、決められた曜日の午後に説明会に参加して、正式な登録をすることになる。わたしたちはシスターの特別な計らいですでに昨日、正式登録証をもらっていたので、特に何の手続きもする必要はなかった。
 しばらくすると1人のシスターが台の上に立って話し始めた。それに気付くと、ボランティアたちは一斉に会話をやめて彼女の方に注目した。明日、ハンセン氏病療養施設へ行く人を希望者の中から抽選で決めることが告げられた。パスを仕立てるので、参加できる人数に上限があるらしい。わたしはちょうどシスターの前にいたので、シスターからその連絡を日本人ボランティアに日本語で知らせるように頼まれた。
 次に、何人かのボランティアたちが前に呼び出された。今日を最後に帰国する長期のボランティアたちらしい。シスターのかけ声に合わせて、彼女たちのためにボランティア全員が歌を歌った。「わたしたちはあなたに本当に感謝している。あなたがいなくなるととてもさびしい」というような内容のリズミカルな歌だった。
 ここでまたわたしは驚いた。わたしがボランティアをしていたころには、こんな習慣はなかった。ふと食卓を見ると、わたしたちの頃よりも少し豊かな朝食が並んでいる。ボランティア係のシスターも3人ほどいる。どうやら、ボランティアの扱いが昔よりもずいぶんよくなっているようだ。
 シスターたちの連絡が終わるとA.J.C.ボースロードに面したガレージのシャッターが開けられ、ボランティアたちが三々五々自分たちの施設に出発し始めた。わたしたちも同じ施設に行くボランティアを見つけて、それぞれ出発することにした。
※写真の解説…「死を待つ人の家」に向かうボランティアたち。